「太田城水責図」和歌山市文化財に
豊臣秀吉による天正13(1585)年の紀州・太田城水攻めの様子などを描いた絵図 「総光寺由来并太田城水責図(そうこうじゆらいならびにおおだじょうみずぜめず)」 が、 新たに和歌山市指定文化財となった。 市教委は 「水攻めの史実を絵図で伝える数少ない資料だ」 と話している。 市指定文化財は今回で60件目。
この絵図は同市太田の真言宗寺院・惣光寺が所蔵する。 寺の縁起と太田城水攻めの史実を絵解きで民衆に説明するために描かれたと考えられ、 作者、 制作年とも不明だが、 江戸時代前期(17世紀)の制作と推定される。
絵図全体は9図から構成され、 下段の3図に秀吉の紀州攻めと太田城の攻防が描かれている。 秀吉の軍勢と雑賀衆や太田党が激突する合戦の場面、 水中に浮く太田城と水攻めの堤防が決壊した場面、 秀吉方の陣で首実検をする場面からなる。
上段は空海による同寺開基の説話となっている。 名草姫の霊跡を訪ねて山中を歩く空海の姿や、 同寺の本尊である毘沙門天を空海が礼拝する場面などが描かれている。
市文化財保護委員会から3月16日に答申を受け、 市教委は、 水攻めと関わりの深い惣光寺に伝わる貴重な作品であるなどの理由から、 指定を決めた。
絵図の複製が市立博物館(同市湊本町)に展示されている。
【秀吉の紀州攻め】 中世末、 豊臣(羽柴)秀吉は自らの全国統一に抵抗する雑賀衆など紀州の諸勢力を討つため、 天正13年(1585)3月、 10万の大軍を率いて大坂から南へと進軍。 雑賀・根来などの軍勢が立てこもる諸城を次々と落とし、 根来寺や粉河寺を焼き討ちした。
紀州諸勢力の残党は太田城に籠城したが、 約1カ月に及ぶ水攻めの末に落城。 立てこもっていた下級武士や農民、 女性、 子どもは許されたが、 主導者53人とその妻ら23人は殺され、 城は焼かれた。
兵農分離と刀狩りが全国に先駆けて紀州で行われたという。