春の褒章 和歌山県内は6人受章
平成24年春の褒章受章者が29日、 発令される。 県関係の受章者は65~75歳の6人 (男性5人、 女性1人)。 内訳は、 各分野の業務に精励して模範となる人に贈られる黄綬が2人、 公衆の利益や公共の事務に尽力した人に贈られる藍綬が4人。 5~6月に県庁と各省庁で伝達が行われる。
今回を含めた県内の受章者総数は、 女性89人、 団体1を含む951 (黄綬436、 藍綬507、 緑綬2、 紫綬6) となる。
晴れの受章者は次の皆さん。
【黄綬】東浩美 (67) 建具大工、 和歌山市小倉▽川﨑俊一 (67) 川﨑商店無限責任社員、 新宮市莱
【藍綬】井田則孝 (65) 橋本市消防団副団長、 橋本市岸上▽岡田邦夫 (71) 民生・児童委員、 紀の川市王子▽小原美智子 (72) 家計調査員、 和歌山市三葛▽潮﨑静明 (75) 保護司、 串本町串本
職人の勉強は尽きない
建具大工の道を歩んで半世紀、 数々の文化財建造物の修理を手掛けてきた名工として知られる。
昭和36年に和歌山職業訓練所木工科を修了。 さらに修業を経て45年に独立、 白浜工芸を設立した。 平成15年の県名匠表彰や21年の文部科学大臣表彰など、 高度な技術と地域文化への貢献をたたえ、 これまでも多くの賞が贈られてきた。
文化財の修理を始めたきっかけは、 26、 27歳で相次いで手掛けた古い商家の 「帯戸」 と寺院の欄間に施された 「二重菱」 の細工。 他の職人が難しさに手を焼いていたものを、 親方に 「おまえならできる」 と言われ、 見事に仕上げた。
携わった文化財は数え切れないほど。 代表的なものに、 国宝長保寺本堂 (昭和47年)、 重要文化財道成寺本堂 (平成3年)、 国宝金剛峰寺不動堂 (同10年) などがある。
修理に用いる技法は独学によるもの。 建具を分解し、 過去の名工の仕事に一つひとつ学び、時には改良を加えてきた。
「まだまだこれから。 職人やから勉強は尽きることない。 地道に自分をたたき上げなあかん」。 今も一日の多くを仕事場で過ごし、 腕を振るい続けている。
地域第一、常に絆大切に
名誉ある受章に 「多くの人に支えられたから」 と振り返り 「各専門機関とのつながりを大切にし、 今後も温かいまちづくりのため頑張りたい」 と笑顔。
現在の地で生まれ育った岡田さんは平成元年12月、 不動産業を営みながら、 地域への恩返しのため民生・児童委員の職務を引き受けた。 問題を抱える住民から相談を受け、 解決につなげるため、 病院や弁護士、 行政などとのパイプ役として地域に貢献してきた。
担当する200軒程度の世帯構成は全て把握。 一人暮らし世帯などは、 非常時に備え緊急時の連絡先まで聞き取るなど細部にまで気を配る。
現在も同市民生委員児童委員連絡協議会の会長を務めるなどまだまだ現役。 困難な問題を抱え壁にぶち当たる委員からの相談も多々受ける。 委員には、 自らの経験を伝え、 それでもだめなら一緒に現場に向かい壁を乗り越える。 常に絆を大切に心掛けてきた。
守秘義務が生じるため相談の内容などは家族にも話すことができない。「何回も孤独を感じた」とその職責の重さを振り返る。しかし「もし、支援者と私の家族が同じ問題を抱えていた場合、 まずは支援者の相談に乗って解決を図る」 といつでも地域が第一だ。
感謝の心で家庭を訪問
国の家計調査員を昭和60年から務めている。 6カ月間、 毎日の収入と支出を細かく家計簿に記録する調査であり、 対象世帯と調査員の信頼関係は欠かせない。 柔らかな笑顔に感謝の思いを込めて、 各世帯と接してきた。
半年に13件を調査する。 地図を見ながら一軒一軒を訪ね、 調査への協力をお願いするところから始まり、 半月ごとに家計簿を受け取りに行くため、 一世帯を12回以上訪れる。
調査員を始めたころと比べて、 夫婦共働きをはじめ、 仕事や子育て、 親の介護などに忙しい家庭が増えた。 プライバシーを理由に調査を断られることも多くなった。 それだけに、 協力してくれる家庭には頭が下がる。
調査を終えた家庭から 「家計簿を付けてよかった」 「無駄遣いが分かった」 と感謝の言葉をもらうと、 調査員冥利 (みょうり) に尽きる思いがする。
元警察官の夫・照雄さん (77) も、 夜間の訪問時の送迎、 家計簿の検算などに協力してきた。 多くの人々に支えられての受章だと感じる。
「調査世帯の皆さんや県の担当者、 先輩の調査員に励まされて続けてこられました。 毎日が感謝です」