ミャンマー民主化への強い意志 スーチー氏と4度目の出会い

 アウンサンスーチー・ミャンマー国民民主連盟(NLD)議長の来日は、 メディアでも大きく報道されました。 延べ15年にわたって軟禁状態に置かれながら民主化に向けた闘いを続けたスーチー氏に対しては、 さまざまな感情移入をしながら見守り、 応援してきた方は、 和歌山にも大勢いらっしゃったのではと思います。

 私の専門分野のひとつは紛争地域の民主化支援。 1992年以降、 国連などの国際協力機関の一員としてカンボジアやモザンビーク、 ボスニアなど延べ12カ国で自由公正な選挙を実施するための支援活動を行ってきました。 ミャンマーの民主化支援には1995年以降関わっていたので、 その過程でスーチー氏との接点が生まれ、 国会議員になってからは今回の来訪時の2回を含め、 4度にわたって面会することができました。

 民主化に向けた対話を進めるため、 2011年前半は、 4度にわたって電話会談を行い、 岡田克也元外務大臣や前原誠司元外務大臣とともにスーチー氏と対話しました。 しかし、 明らかに盗聴されており、 会話が佳境に入ったところで突然音信不能になってしまうこともたびたびでした。 まさに最近までスーチー氏は海外に出ることも政治活動を行うことも事実上不可能でしたから、 国会議員になったスーチー氏を日本で迎える日が来るとは!と、 本当に感慨もひとしおでした。

 国会では、 私が事務局長を務める 『ミャンマーの民主化を支援する議員連盟』 と政権寄りの 『日本・ミャンマー友好議連』 が合同で意見交換会を実施。 「民主化に向けてこれまでお世話になった方々にお礼を言いたい」 とのスーチー氏の思いを聞いていたので、 できる限り多くの方々に会っていただきたいと思いました。 しかし、 外務省からは参加者は合計14人まででお願いしますと要請されたので、 それぞれ7人ずつの少人数で会談しました。 彼女との面会を熱望していた多くの民主化議連の方々の思いを反映できなかったことは本当に残念です。

 今回のスーチー氏の言葉で一番印象的だったことは、 軍や与党との和解を進める強い意志を示したことです。 彼女を15年以上軟禁状態に拘束し、 自由を奪ってきたのは、 NLDが485議席中392議席を獲得して圧勝したにもかかわらず選挙結果を無視して政権に居座り続けた軍事政権です。 彼女が議長を務めるNLDを排除した選挙(2010年11月)で移行した今の政権は、 テインセイン大統領に変わった後は民主化を進めていますが、 一方で、 カチン族などの少数民族を武力攻撃しています。 少数民族との内戦終結に強いリーダーシップを発揮することを期待されているにもかかわらず、 十分に役割を果たしていないとの批判を内外で受けることも多くなった彼女にとっては不条理を感じる状況でしょう。 しかし、 本当の民主化を進めるためには、 軍による支配を前提にした今の憲法を改正して彼女自身が大統領になる必要があり、 そのためにはいろんな思いを飲み込んで軍との信頼関係構築も必要と思いを定めたのでしょう。 4月13日に参加したミャンマー人の方々との対話集会、 そして4月16日に行われた私たち議員との意見交換会では、 本当の民主化実現に向けてまい進する強い意志を感じました。 ただ、 少数民族との和平実現は彼女の公約のひとつ。 この問題にどのように対処するのか注視しつつ、 日本として仲介努力を行うとともに、 経済開発が環境破壊や人権侵害につながらないよう配慮するなどの対応を今後も提案していきます。