踊りとともに89歳 新日舞の峯さん

 曲の歌詞に合わせた、可憐で時に力強い舞い――。新日本舞踊峯流の家元、峯真季弥さんはことし89歳を迎えた。半世紀以上、踊りと共に歩み、老人施設などへの慰問は200回を超えた。「踊ることは私の持って生まれた役目。命ある限り、踊りを続けたい」と笑顔を見せる。はやり廃りを超えて、長くその踊りを愛され続けている峯さんを紹介する。

 新日本舞踊は、古典の日本舞踊とは違い演歌や歌謡曲など身近な音楽を使って振り付けをした創作舞踊で、一般の人にも分かりやすく、親しみやすい。約5、6分というわずかな時間の中でストーリーを演じ、踊りで歌の心情を表現する。

 峯さんは、猿川村(現紀美野町)出身。10代の頃から蓄音機で曲を流し、独自の踊りと振り付けを楽しんでいた。次第にうわさは広まり、地元の婦人会や青年団から声が掛かり、指導することも少なくなかった。峯さんは「今でもその時の踊りは頭に残っています」と微笑む。

 当時は戦争中。我流ではなく師匠について習い、いつか戦死した人の家族への慰問のために踊りたいという強い願いがあった。

 結婚後、子育てが一段落してから山吹流の師匠に入門。48歳の時だった。2年間で名取・山吹真季弥となり、本格的に教え始めた。踊りで物語を伝えようと、今は亡き夫と共に曲の舞台となっている土地に何度も足を運んで主人公の気持ちを考えた。朝から夜遅くまでのレッスン。一人ひとりの弟子に納得がいくまで稽古をつけた。その熱い思いが伝わり、今でも弟子から手紙が届くなど慕われている。

 70歳の時、今まで築き上げてきた独自の踊りを生かそうと、峯流を立ち上げた。指先、目の使い方まで熟練の技は見る人を引き付け、その物語へと導く。「峯師匠の男踊りが大好き」というファンも多く、舞台があると東京からも駆け付ける人がいる。現在、弟子は2人。師匠と弟子の関係でありながら、家族のような付き合いだ。峯さんは「夫からは『お前は人物を踊りなさい』と言われていました。私は人物を踊るのが大好き。遠くからも見に来てくれる人がいる限り、辞められません。皆さんに励まされて踊らせてもらい、感謝の気持ちでいっぱいです」と話している。