しっかりとした連携の輪を 南米全体に多数の日系移民
福島県大玉村と南米ペルーのマチュピチュ村が姉妹都市提携を結んだという。
そもそものきっかけはマチュピチュ村の初代村長が大玉村の出身移民で、観光開発に尽力した、ということなのだそうだが、こうしたニュースをみて、へえ、というだけで終わっていたが、今回は違う感慨を持った。パラグアイ、アルゼンチンへ視察に出たからである。
アルゼンチンはともかく、パラグアイと聞いて、どこだっけ?という程度の認識しかなかったが、今回は反省しきりだった。両国との経済的関係は実に薄いものであるため現代教育ではほとんど教えてこなかったせいであろうが、じつはこの両国、いや南米全体に多数の移民が戦前戦後を通じて存在しているのである(ブラジル…160万人、ペルー…10万人、アルゼンチン…2万3000人、パラグアイ…5800人※(公財)海外日系人協会ホームページより平成26年推定値)。
しかも、とくに戦後のそれは、食べられなかった日本の政府が政策的に奨励したものであり、パラグアイなどがその呼びかけに応えてくれたからこそ成り立っているのだ。その結果、パラグアイなどでは多くの移民が平均して2㌶の自宅に住み、40㌶の農地を耕して大豆や麦を効率よく生産する大農家が現出、パラグアイの社会にはなくてはならない存在になっている。また、アルゼンチンでも同様で、多くは日本人の勤勉さと実直さが社会の信用を得て、クリーニング業や花卉栽培などの分野では押しも押されもせぬ存在になっているという。いずれにせよ、これらの移民政策が両国のみならず南米社会全体に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。
しかし、こうしたことを我々の何人が知っているだろうか? 最近は安倍総理も従軍慰安婦の像を打ち立てる世界中の韓国系移民に悩まされて、ようやく我が日系にも目を向けるようになったというが、慰安婦問題に限らず捕鯨や安全保障問題に関してすら、日本と異なる立場を主張する日系移民も増えてきた。我々はこうした現状を反省し、これまでのご無沙汰を詫び、しっかりとした連携の輪を持つべきではなかろうか。当の日系人たちもそれを強く望んでいる。
来年は11月にアルゼンチン和歌山県人会の80周年なので県知事さんに来てもらいたい、とはアルゼンチン和歌山県人会の会長さんの要望。来てもらって何かをしてもらいたいのではない。何かをしてあげたいのだ。その気持ちを誤解してはならない。
また、私が会った日系二世はこう言った。「自分の世代はまだいいが、私の子供は日本を身近に感じていない。日系移民の先輩がこの国で勝ち取ってきた信用を継ぐためにも、子供には日本人の良いところを学ばせたい。できれば、少しでもいいから子供に日本を、故郷を見せてやりたい」。今の日本にそれほど学ぶべき何かがあるのかはさておいても、我々の同胞としてしっかりとこの思いは受け止めてあげるべきであろう。日本のODA支援にも限りがある以上、多くの賛同を募り、できれば移民の子弟を受け入れる施設を作りたいものである。