伊勢路旅(28)三重県度会郡玉城町
前号まで多気町における紀州藩の歴史や地域の特産品について取り上げた。今週は多気町の西隣にある「三重県度会(わたらい)郡玉城(たまき)町」を紹介したい。
玉城町は三重県の中央部から少し西側に位置する町で、人口は約1万5000人。伊勢市と隣り合うことから伊勢神宮への参拝客の宿場町として栄えてきた。
玉城町の中心部に紀州藩が治めていた田丸(たまる)城がある。田丸城は南北朝動乱期の1336年、後醍醐天皇を吉野に迎えようと伊勢に下った北畠親房(きたばたけ・ちかふさ)が南朝方の拠点にしようと築城したことに始まる。南朝方の拠点である吉野から伊勢神宮へと通ずる交通の要所に位置することから、吉野朝廷にとって軍事面からも重要視され、北朝・南朝の攻防にもまれた地となった。
室町時代以後は伊勢国司となった北畠氏の支城として伊勢志摩地域の支配の拠点となり、戦国時代には織田信長の伊勢侵攻に伴い1575年に織田信雄(織田信長の次男)が本丸に三層の天守閣を設けたが5年後に焼失している。
その後、1619年に紀州徳川家が治める紀州藩の所領となり、徳川頼宣の紀州転封(紀州徳川家の成立)により御附家老として頼宣に付随した久野宗成(くの・むねなり)が1万石を与えられ田丸城代となった。以降、久野氏は8代にわたりこの地で政務を執り明治維新を迎えている。
現在、天守閣はないものの、かつてを思わせる天守台が残され公園として整備。城内には玉城市役所や中学校が建つなど、今もなお、町を司る地となっている。12月から翌1月にかけてはイルミネーションが施され、天守閣を模した建屋が造られる。闇夜に浮かぶ期間限定の幻想的な姿を見てほしい。
(次田尚弘/玉城町)