徳川家康生誕の地 愛知県岡崎市「産湯の井戸」
2017年の幕開け。皆さまは新年をどのように迎えられましたか。おかげさまで本コーナーは7年目、間もなく300号を迎えます。ことしも和歌山とつながりがある各地の魅力や事例を分かりやすくお伝えさせていただきたく、よろしくお願いします。
昨年は伊勢志摩サミットにちなみ、熊野古道伊勢路周辺にある三重県内各市町村の魅力と紀州藩時代の歴史、大河ドラマ真田丸のクライマックスに際し大阪城周辺の真田幸村ゆかりの地を長編のシリーズで取り上げました。真田丸の余韻が残る今、大坂の役を制した徳川家康について触れたく、家康生誕の地、愛知県岡崎市をシリーズで紹介します。
岡崎市は愛知県のほぼ中央部に位置する人口約38万4000人の中核市で、西三河地方を代表する街。八丁味噌が特産でその名は全国的に知られている。
徳川家康はかつての三河国を治める松平広忠の嫡男として天文11年(1542)12月26日、岡崎城で生まれた。岡崎城は享禄4年(1531)に家康の祖父にあたる松平清康が現在の地に築城した。現在は岡崎公園として整備され、家康誕生の際に産湯として使用されたという井戸が「産湯の井戸」として現存し、飲用には使用できないもののそこからくみ上げられた水に触れることができる。
家康は6歳で織田信秀(信長の父)に、8歳で今川義元の人質となりこの地を離れたが、永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元の戦死をもって自立し19歳で岡崎城に戻り、元亀元年(1570)に浜松へ拠点を移すまでの間、岡崎城を拠点に天下統一への礎を築いた。 (次田尚弘/岡崎市)