家康紀行⑳五社神社・諏訪神社
前号では、浜松市で生まれた第2代征夷大将軍である徳川秀忠の産湯として使われたとされる「誕生井戸」を取り上げた。今週は秀忠公の産土神(うぶすながみ)として信仰を集める「五社神社・諏訪神社」を紹介したい。
産土とは人の出生地の意味で、一般的に産土神とは生まれた土地の守護神をさす。浜松市の中心市街地に位置し、浜松城まで直線で約500㍍に位置する五社神社・諏訪神社は、この地で生まれた秀忠公の産土神として崇拝されてきた。
五社神社は家康公入城前の曳馬城(浜松城)主であった久野越中守が城内に創建したとされ、秀忠公誕生を機に現在の場所に社殿を造営し遷座(御神体を他の場所へ移すこと)。
寛永11年(1634)、3代将軍の家光公が参拝の際、改めて社殿が造営され寛永18年(1641)に竣工。国宝に指定されるも、昭和20年、先の大戦による戦災(浜松大空襲)で焼失している。
諏訪神社は延暦10年(791)坂上田村麻呂により創建され、秀忠公誕生にあたり五社神社と同様に社殿を造営したという。家光公により現在の地に社地を移し、五社神社と時を同じくして竣工。国宝に指定されるも戦災により焼失している。
昭和37年に両社は合祀され「五社神社・諏訪神社」として現在に至る。いずれも相殿として家康公を御祭神とし、子守り、子育ての神として崇拝され、安産祈願の祈祷や御守りを買い求める参拝者も多く、七五三の時期にも多くの親子でにぎわう。
浜松駅から北西へ徒歩約10分。筆者は語り部さんの勧めで、今秋誕生予定の実兄の子の安産を祈願した。徳川家のような末長い発展と子孫繁栄にあやかりたい。
(次田尚弘/浜松市)