不戦の誓いを後世に 和歌山大空襲から72年
和歌山市の中心部が戦火に包まれた和歌山大空襲から72年を迎えた9日、同市西汀丁の汀公園で市戦災死者追悼法要が営まれた。戦争経験者の高齢化が進む中、遺族ら約190人が戦没者の冥福を祈り、次世代を担う若者たちは不戦の誓いを新たにした。
昭和20年7月9日、深夜から翌日未明にかけて米軍の「B29」108機が市上空に飛来。焼夷弾を次々と投下し、1400人以上が死亡した。現在の汀公園は当時、旧県庁跡として市内の避難場所になっていたが、熱風と炎に巻かれ、748人が犠牲になったとされている。
追悼法要では、主催する市戦災遺族会の吉田フミ子理事長(88)が「目を閉じれば、あの地獄のような光景がよみがえってくる。悲惨な戦争の教訓を風化させることなく後世に継承していくことが私たち遺族の責務」とあいさつ。
尾花正啓市長は「今日の平和は、心ならずも散っていった尊い犠牲の上に達成されたものであることを決して忘れてはならない」と追悼の言葉を述べた。
続いて、和歌山大学付属小学校の児童8人が「大切なのは、たくさんの人の命が奪われたことを後世に伝えていくこと。和歌山で戦争の悲劇があったことを忘れずに心に留めておきたい」などと、それぞれの平和への願いを読み上げ、市立伏虎義務教育学校や八幡台小、和大付属中学校の児童・生徒が千羽鶴を奉納した。
参列した同市東高松の小野誠之さん(88)は、当時北中間町で空襲を体験。家族7人で築港の広場へ避難する途中、焼夷弾の火の粉による大やけどで、祖母と2人の妹を亡くした。
小野さんは「忘れたいけれど、忘れられない悲惨な出来事。妹たちに十分なことをしてやれなかったことが残念でならない。命ある限り慰霊祭に参列して、せめて弔いをしたい」と静かに話した。