「7・18」水害の記憶 被災の中井さん語る

和歌山の自然災害の歴史、尊い命を守る防災対策の重要性を語る上で欠かすことができない重要な災害の一つに、昭和28年7月18日、集中豪雨により県中部を中心に甚大な被害が発生した「7・18水害」がある。和歌山市鷹匠町の中井節子さん(81)は17歳の時、有田川の源流域に当たる旧花園村(現かつらぎ町)で同水害に遭遇。崩壊していく山の斜面を母の手を引いて逃げ、九死に一生を得た。64年がたった今も、被災の経験を後世に伝えることを願い、亡くなった人たちの冥福を祈る日々を送っている。

シリーズ日本の歴史災害第6巻『昭和二八年有田川水害』(古今書院刊)によると、7・18水害は県全体で死者・行方不明者約730人、被災者約25万人の被害をもたらした。記録写真や資料、生存者の証言などが収録された同書は、斜面変動現象の研究者が編著者を務めており、花園村での斜面災害に大きく紙幅が割かれ、詳細に記述されている。

県北西部、高野山の南西に位置する花園村は梁瀬・北寺・新子(あたらし)・池之窪・中南・久木の六つの大字に分かれており、梁瀬には鳥居度(とりいど)・滝谷・敷地・中越・峯手・臼谷・古向の集落があった。同書によると、明治以降に豪雨による斜面災害で一集落全滅となったのは、北寺のみという。

中井さんは知人からの紹介で、平成18年の出版から数年後に同書を手にした。熱心に読んだが、自身の出身集落・鳥居度に関する記述は見当たらなかったため、「私も証言して水害の記録に協力したかった」との思いが込み上げた。

中井さんの記憶によると、当時、1カ月ほど前から断続的に降り続いていた雨は7月17日午後10時ごろにかけて一層激しくなった。同書では、当時の花園村周辺の雨量は1時間当たり80~100㍉に達したと推定。「千万本のロープを天から垂らしたような雨だった」「天と地が水でつながったようだった」などの周辺住民の証言も記されている。

中井さんは自宅の近くを流れる谷川の増水に異常を感じ、勤務先の農協から預かっていた金庫の鍵と自分の認め印を握りしめ、母と、家で療養中だったいとこを伴って避難を始めた。猫が異常に大きな声で鳴いていたことを覚えている。

家を出た時、集落の人たちの「上へ上がれ」という叫び声が聞こえ、無我夢中で山頂を目指した。忘れることができないのは、中井さんの後ろから、いとこの「そっちへ行ったらあかん!」という叫ぶ声が聞こえ、瞬時に道を跳び越えて進行方向を変えた時のこと。息をつく間もなく目の前を土砂の濁流が過ぎていき、多くの人の命や家が奪われた。

山頂へと向かう途中の柴小屋では、ゴオーッという不気味な音とともに山が割れ、なぎ倒された杉の木が母のすぐ足元に飛んできた。母の手を引く中井さんが横へ跳んだのとほぼ同時の出来事。柴小屋で休憩をしていた人たちの多くは土石流にのみ込まれたり、杉の木の下敷きになったりした。「お互いを呼び合う声や必死で人々が逃げる様子は、1週間ほど前に見た『ひめゆりの塔』の映画そのものでした」。

ようやく頂上にたどり着いた中井さんが眼下を見ると、いつもは小さな谷川が「まるで海のような」巨大な濁流と化し、あまりの変わり様に、しばらくぼうぜんとしてその場に立ち尽くした。

頂上から続く道をたどり、ようやく敷地と呼ばれる集落の梁瀬小学校に。中井さんは「校庭に着いたときのうれしさは忘れられません。一緒に逃げた人たちは、1時間ほど後に合流した時には土人形のような姿でした。首まで泥に漬かった隣の80歳のおばあちゃんを掘り起こしていたんだそうです」と胸を詰まらせた。

小学校近くのお堂では、敷地の住民の支援を受け約20人が2年にわたり避難生活を送った。米の袋を破って天井や仕切りを張った。避難後も雨は降り続いたため、人々は地盤の緩みを心配し、汚れて臭いがする靴を枕元から離さず、何度もお堂の裏山へ避難した。救援のヘリコプターが集落に来たのは約1カ月後のことだった。

中井さんは当時51歳だった母の姿を振り返り、「本当に大変だったと思うけれど、愚痴をこぼしたことはただの一度もなかったです」と目頭を熱くする。

九死に一生を得た中井さんの記憶は今も鮮明。「もしも家の近くに谷がなかったら逃げ遅れていたかもしれません。異常を察知したことが効を奏しました」「『上へ上がれ』と言ってくれた人が集落の人の命を救ってくれました」と話し、自らの体験から、命が助かる岐路になったポイントを振り返る。迅速な避難がいかに大切かを痛感している。

全国では地震や豪雨などの自然災害が猛威を振るい、中井さんの頭からは、被災地で苦しい思いをしている人々のことが離れない。

「私の体験が少しでも参考になればうれしく思います。現在被災されている方々の一日も早い復興を祈ります」

有田川水害を記録した本を手に中井さん

有田川水害を記録した本を手に中井さん