約束の2冊目写俳集 権出さんと山陰さん
和歌山県紀美野町動木の権出(ごんで)毅一さん(77)が、写真と俳句を組み合わせた「写俳集」の2冊目となる『世界遺産 高野山 写俳集』を自費出版した。権出さんの写真に、親交が深かった高野町の俳人・故山陰石楠(せきなん)さん自筆の句を添えたもの。権出さんは「2冊目の出版は山陰さんの遺言だった。墓前に報告したい」と話している。
権出さんは県美術家協会、海南市美術家協会会員。ことしの県美術展覧会(県展)の写真部門で最優秀賞に輝いている。
高野山を撮影するようになったのは35年ほど前から。大門で、霧の中で繰り広げられる天狗の舞を写して以来、その神秘的で荘厳な雰囲気に引かれ、高野山の自然やお勤めをする僧侶の姿を写し撮ってきた。
山陰さんは元毎日新聞紀州俳壇選者で、高野町文化賞受賞者。2人の出会いは、山陰さんが営む古美術店に権出さんが立ち寄り、絵とともに色紙に書かれた俳句に「素晴らしいですね」と声を掛けたのがきっかけ。以来、高野山に行くたびに山陰さんを訪ねるようになり、山陰さんが「自分ら兄弟みたいやな」と言うほど意気投合。権出さんが「趣味の写真に、山陰さんの俳句を添えて作品にすれば面白いのでは」と、週に1度は高野山に通い、写真に合う句をつけてもらうのが習慣になったという。
2010年には1冊目の写俳集を出版。収録できなかった作品も多く、山陰さんは「また2冊目の写俳集出してよ」との言葉を残し、16年10月、94歳で亡くなった。
高野山での活動は常に山陰さんとの思い出と共にあり、今回の写俳集の表紙の写真は忘れられない一枚。ある日の夜9時近く、山陰さん宅にいると雨が降り出し「この雨上がったらいい霧出るで」と山陰さん。「よっしゃ、今や」――。一人で壇上伽藍へ向かうと、今まで見たこともないような深い霧で、幻想的な雰囲気に夢中でシャッターを切った。
そんな時、白装束の女性に背中をたたかれドキリ。帰る道が分からないというので道案内をしたという。後日、山陰さんに話すと「それ、おばけやで」と言われたことも今は懐かしい思い出。
山陰さんは1冊目の出版時、「権出さんの写真は『高野讃歌』なんだと深い感銘を受けた」と言葉を寄せている。権出さんが写真の状況を説明せずとも、浮かぶ言葉をすらすらと筆にしたためた。
今回の写俳集には写真・俳句とも約200点を収録。見事なしだれ桜と僧の写真には「五十六億七千万年さくら咲く」。スギの合間を行く僧らの姿をスローシャッターで写した一枚には「遅日光(ちじつこう)杉千年の刻(とき)経つつ」――など、写真と句が互いに響き合う。
山陰さんが亡くなって2年。以来、あれほど通った高野山へは気持ちが向かず、一度も行っていないという。ライフワークにしてきた高野山の記録は、今回の写俳集の完成を区切りにするつもりだといい「山陰さんが背中を押してくれ、これだけのものが残せた。また新しいテーマを探し、写真を楽しんでいきたい」と話している。
写俳集の問い合わせは権出さん(℡073・489・5015または℡090・5640・1354)。