200年受け継ぐ「だんじり」

 前号では、和歌山城と時を同じくして竣工した、岸和田城天守の歴史を取り上げた。明治維新を迎えるまで13代にわたりこの地を統治し、地域を発展させた岡部氏ならではの奇策がある。
 岸和田といえば「だんじり」。毎年9月、城下で行われ、山車の一種である地車(だんじり)に付けられた長さ100㍍程度の2本の綱を500人程度で曳行し、街中を疾走する勇壮なお祭り。地車を方向転換させる「やりまわし」や、和太鼓と鉦、篠笛が奏でるおはやしが特徴。岸和田市出身の知人がいらっしゃる方であればご存じだろう。祭りの時期になるとそわそわし始めこの話題で持ち切りになる。そこまで彼らの気持ちを高揚させる地域愛はどこにあるのか。
 「だんじり」は、元禄16年(1703)、岸和田藩2代藩主の岡部長泰(おかべ・ながやす)が伏見稲荷大社を城内の三の丸に設け、五穀豊穣を祈願した稲荷祭が起源であるとされる。長泰は城下の庶民にこの稲荷祭への参詣を許し、山車の周囲で町民らが藩主の前で、にわか芸や神楽を踊るなど賑やかな催事を行ったことが始まりであるとされる。
 独特であるのが、当時の藩政に基づき構成した社会的紐帯(町や字などの地域単位)である「町会」と呼ばれる組織が現代にも残り、それぞれが地車を所有し曳行すること。
 この町会が22あり、さらに「岸和田地車祭禮年番」という運営組織が祭りを取り仕切る。これらの制度は200年以上変わらず継続し、町会では年齢に応じたピラミッド型の組織を構成。若年からこの組織に入り地域の先輩と共に、祭りの成功という共通の目標を持ち関係を深め、歳を重ねていく。
 町会による地域内の結束力の強さ、人と人、人と町とのつながりが地域愛を育むのだろう。
(次田尚弘/岸和田市)