奈良時代の建物跡発見 和歌山市の府中遺跡
奈良時代から平安時代の役所「紀伊国府」の推定地とされる和歌山県和歌山市府中の「府中遺跡」の発掘調査で初めて、奈良時代(8世紀)の建物や塀の跡が発見された。従来は文献上の記載から10世紀以降の紀伊国府が置かれた場所とみられてきた。市文化スポーツ振興財団は、時代をさかのぼる遺構が見つかったことで、紀伊国府の場所を改めて検討できる重要な成果が上がったとしている。
平安時代中期の承平年間(931~938)に書かれた辞書『和名抄』や、藤原為房の日記『大御記』の1081年の記述から、10世紀以降の紀伊国府は、現在の府守神社付近の府中遺跡にあったと推定されてきた。
1969年に県教育委員会が府中全域を対象に行った遺物分布調査では、7~9世紀の須恵器や陶硯(とうけん)、平瓦などが発見され、国府が奈良時代にさかのぼる可能性が指摘されていたが、市や関連団体による5次にわたる調査では、国府に関する遺構は見つかっていなかった。
新発見があった今回の第6次調査は、府守神社西側の東西6㍍、南北36㍍の216平方㍍を、11月25日から調べ、南側3分の1で、8世紀の掘立柱建物(地面に穴を掘り、礎石を用いず柱を立てた建物)3棟や塀の跡を発見した。
建物はいずれも調査地の外に遺構が続いており、全体の形は不明だが、大型の建物と推定される。三つのうち後に建てられたとみられる二つの柱穴からは、奈良時代の須恵器杯や土師器(はじき)の破片が出土した。
国府の中心施設である「政庁」の場合、他地域の遺跡では柱穴の大きさが1㍍を超えているが、今回は1㍍以内であることから、政庁の遺構ではないと思われるが、一般集落とも考えにくく、役人の実務の場所など国府に関連する建物と推測されている。
紀伊国府については、初期は岩出市の岡田遺跡にあり、平安時代に府中に移転したとの説もある。同財団埋蔵文化財センターの菊井佳弥学芸員は「今回の調査で紀伊国府の場所が分かったわけではないが、府中には少なくとも奈良時代の建物があった。移転の有無を含め、紀伊国府について考える上で重要な手掛かりであり、より慎重に調査する必要が出てきた」と、研究の進展へ期待を話した。
15日には一般向けの現地説明会が開かれ、歴史ファンら約200人が詰め掛けた。菊井学芸員が調査結果を説明し、参加者は熱心に質問したり、出土した土器を興味深そうに眺めたりし、古代の歴史に思いをはせた。
楠見地区から訪れた堀丈夫さん(77)は「すごい発見だ。ついに国府跡が出てきた、ここにあったんじゃないかという思いがする」と話していた。