日本最古の鉄製戦車
前号では、徳川斉昭(なりあき)による藩政改革の一環として造られ、生涯学習を提唱、実践された日本最大の藩校弘道館の歴史を取り上げた。
水戸学の視点から攘夷派として知られる斉昭は、ペリーの浦賀来航を機に海防参与として幕政に関わるなど、国防への取り組みを進めることとなる。今週は斉昭が設計し現存する、日本最古といわれる鉄製戦車とその時代背景を紹介したい。
これまでに取り上げた偕楽園の建造物や竹林がそうであったように、太平洋に面した水戸にとって外国からの脅威に備え、斉昭は国防への注力を強める。藩士を集め「追鳥狩(おいとりがり)」と称する軍事訓練や、大砲の製造所を備えた「神勢館」での砲術訓練を実施。潜水艦や大砲の設計にも乗り出し、領内に設けた反射炉で「太極砲」と呼ばれる大砲を作り、江戸防衛のため幕府へ計74門を献上するなど、藩を挙げての取り組みとなった。
その中で斉昭が考案、設計したとされる安神車(あんじんしゃ)は非常にユニーク。木製の車の上に、周囲を鉄板で覆ったまるで釣鐘のようなものを載せた〝戦車〟であり、鎧(よろい)を付けた牛に曳かせるというもの。戦車の内部に人が入り、四方に設けられた小窓から小銃を撃つことができるという仕組み。
実際に使用されることはなかったとされるが、水戸東照宮で2基が現存し境内で見ることができる。昭和42年に水戸市の指定文化財に登録。
幕政に関わり攘夷論を提唱する斉昭は、開国を推進する井伊直弼と対立。将軍継承問題では実子である一橋慶喜を擁する一橋派と、紀州藩第13代藩主・徳川慶福を擁する南紀派を形成する井伊との争いが更に対立を深め、やがて安政の大獄へと進むこととなる。(次田尚弘/水戸市)