町と言葉への愛着綴る 柳川さん「黒江ことば」

「アイタ」は「明日」、「ヤッチャゲナーヨ」は「~してあげなさい」――。和歌山県海南市黒江地区で話されている「黒江ことば」や、和歌山の方言を同市黒江の柳川和一郎さん(94)が15年かけて1冊のファイルにつづった。自然に書きたまったものをまとめたという柳川さんは「ただ黒江のまちが好きという思いだけで集めてくることができた」と話している。

生まれも育ちも黒江の柳川さんは、県外の学校に通っていた数年間を除き、人生のほとんどを黒江で過ごしてきた。卒業後、黒江に戻った柳川さんは、不動産事業の傍らで自身が日常会話で使っていたり、聞いたりした言葉や文献資料から見つけた言葉を書きためていた。文献は大庄屋だった頃の資料や、柳川さんより前に地元の言葉を収集してきた郷土史家の伊織正治さんから引き継いだ資料、海南の郷土史など新旧さまざまなものを参考にしている。特に意識して書いていたつもりはないが、文献を読む中で見つけたものを書いているうちにたまっていったという。

漆器問屋が並び栄えた川端通りの誕生100周年に合わせ、2003年に川端通りの郷土史を製作。郷土史作りのための調べ物の中でも言葉を見つけ、引き出しなどにしまっていた。書きためたメモをそのままにしておくのももったいないと思い、まとめ作業を始めた。

黒江ことばを書いたメモを一枚一枚あいうえお順に分類し、パソコンで打ち出し。15年近くの歳月をかけて1000を超える膨大な数の和歌山弁に加えて、独自に集めた約700の言葉を1冊のファイルに収めた。「コサエル」(作る)や「キチキチ」(ちょうどいっぱい)、「ハーヨニ」(早くに、すぐに、とっくに)など、郷土色豊かで温かみのある言葉が並ぶ。

柳川さんによれば黒江ことばは黒江で育ち、黒江で結婚した人など、長年黒江に住む人からでないと聞けなくなったという。最近は地域の外へ出て行く人や、他所から来る人も増えて、話されなくなった。柳川さんは「こんなに言葉があるのに、なくなるのは惜しい。音声も録っておきたかった」と名残惜しさもあるという。

黒江ことばはことし、さらに10ページを追加。地元図書館などにもファイルを送った。調べるとまだまだ見つかるが、年齢的なことを考慮して編集作業はこれで区切りをつけるという。柳川さんは「ことば探しが重荷になることはなかった。ただずっと生活してきた黒江に愛着があり、好きだったからここまでまとめられたと思う」と話している。

「黒江ことばが消えてしまうのは惜しい」と柳川さん

「黒江ことばが消えてしまうのは惜しい」と柳川さん