浅野内匠頭妻の扁額 櫻井さんが寺に奉納
和歌山県紀の川市打田の櫻井榮子さん(81)が、高野山の無量光院に扁額を奉納した。裏に朱書きで「瑤泉院尼」と書き付けのある扁額は、櫻井さんが約10年前に和歌山市内の人から託されたもの。瑤泉院とは「忠臣蔵」で知られる赤穂義士の主君、赤穂浅野家3代藩主・浅野内匠頭(長矩)の妻阿久里の院号。赤穂浅野家は、紀伊浅野家初代幸長と同2代長晟の弟長重の家柄で、和歌山とも縁が深い。櫻井さんは長年納める場所を探し、同院に奉納できたことに「ほっとしている」という。
扁額は縦約50㌢、横約90㌢で、裏に「施主 瑤泉院尼」とある。木製漆仕上げで、表には金泥で「なへて世を恵むひかりや照らすらむ泉の岳の月のさやけき」と歌が書かれている。額の縁には、赤穂義士が切腹(元禄16年2月)してから約1カ月後の年号「元禄十六年癸未三月吉日」と「萬松山 泉岳禅寺」「大願成就」の文字が見える。裏には、瑤泉院の名前の他に、赤穂義士の菩提を弔った回向文と見られる文章も書かれている。
紀州民芸盆栽作家で、不動明王を祭る僧侶でもある櫻井さんの元にこの扁額が託されたのは約10年前。由来不明で和歌山市内の人から持ち込まれたが、額の右側に長矩と赤穂義士の墓がある泉岳寺(東京都港区)の文字があったため、同寺へ返すのが良いと判断し、連絡をするも良い返事をもらえず、瑤泉院の供養塔が建つ妙行寺(東京都西巣鴨)なども同様であった。その後も、主宰する紀州民芸盆栽教室の生徒で同市の佐古善三郎さん(88)と共に瑤泉院ゆかりの寺などを探すも奉納先は見つからず、気が付けば長い歳月がたっていた。その間、櫻井さんは自宅の本尊前に扁額と新たに作った瑤泉院の位牌を置き、毎日経を唱え続けた。
ことし3月21日、弘法大師の日に訪れた高野山で奥之院にある長矩と赤穂義士の墓に立ち寄った際、櫻井さんの目に「無量光院」の木札が目に入った。訪ねると、同院併設の悉地院は、本家広島浅野家の墓所で、長矩の死後、大石内蔵助(良雄)が主君の墓を建て回向した場所。長矩と赤穂義士の墓は、現在無量光院が管理しているという。扁額の話をすると同院への奉納が決まり、現在は本堂で仮安置されている。今後は新たに瑤泉院の位牌を作り、夫長矩の傍らで祭っていくという。念願の奉納先が決まり、櫻井さんは「このように納めさせていただき、瑤泉院も喜んでいるのではないか。女性で困っている人がいれば、瑤泉院を頼ってここに来るようになれば良いなと思っている」と笑顔。佐古さんも「長い間、櫻井さんが守ってきたもの。今回、高野山にあるこの場所に納まって良かったと思う」と話し、無量光院の土生川正賢住職は「巡り巡って浅野家と関わりのある当院にお祭りすることになり、ご縁を感じる」と話している。
ようやく夫の傍らにたどり着くことができた扁額。6月3日の瑤泉院の命日に近い今月30日に同院で法要が行われる。