パリでリベンジ 南出選手が海南で五輪報告

東京五輪の水泳オープンウオーター(マラソンスイミング)男子10㌔に日本代表として出場し、13位だった和歌山県海南市出身の南出大伸選手(25)が10日、故郷の海南市役所を訪問した。神出政巳市長らに五輪での闘いを報告し、地元の応援に感謝を伝え、「思っていたよりも甘くない世界。課題も見つかった大きな試合だった。(2024年五輪の)パリでメダルを目指しリベンジしたい」と意欲を語った。

南出選手は同市の巽小学校、巽中学校、海南高校を卒業。幼い頃に水泳を始め、市民温水プールや海南高水泳部、進学した日本体育大学で技術を磨いてきた。

元々は競泳の自由形、長距離を専門とし、2013年長崎インターハイの1500㍍自由形で第2位などの実績を残した。日体大進学後、強化の一環で海や川、湖など自然水域で泳ぐオープンウオーターに取り組んだことをきっかけに競技を続け、18年日本選手権の10㌔で初優勝し、19年茨城国体では5㌔で優勝。ことし6月にポルトガルで行われた五輪最終予選で6位に入り、初の五輪代表の座をつかんだ。

5日午前6時半から東京・お台場海浜公園で行われた東京五輪の本番。南出選手はトップと4分33秒差の1時間53分7秒でゴール。中盤には20位まで順位を落としたが、巻き返して26人中13位でレースを終えた。

市役所訪問には南出選手の恩師である海南市民プールの館長、吉田儀人さん(66)が同行し、神出市長や西原孝幸教育長らが歓迎した。

「自分なりに準備して万全な状態で当日も本当に調子良く臨めたが、先頭集団に置いていかれた」とレースを振り返った南出選手は、「優勝したウェルブロック選手は競泳でも銅メダルを取っている。それくらいの競泳のスピードも必要になってくる。今後はオープンウオーターと競泳1500㍍自由形の二つをメインに頑張っていきたい」と話した。

競技中、「先頭が抜け出した場合は後ろとの距離や、位置、周りの人との距離を一番に考えている」という南出選手。中盤で順位を落としたことについては「自分が遅くて落ちたというよりは、周りの選手にもまれて落ちてしまった。そこからは、自分の速度や位置取りなど、立ち回りの技術で上げていけた」と分析した。

地元や母校の人々が日の丸に書いて届けた応援には「一つひとつ目を通した。メッセージを届けてもらって、本当に大きな力になった」と感謝し、「日本代表、和歌山県、海南市、いろんな代表を抱えつつ頑張れたのは皆さんのおかげ。これからも代表としての責任とプライドを持って頑張っていくので、応援よろしくお願いします」と語った。

神出市長は「お疲れさまでした。速いペースで10㌔泳ぎ続けるのはすごい。パリに向けて頑張ってください」と活躍をたたえ、吉田さんには、大会を終えた南出選手に今どんな言葉を掛けてあげたいかと質問。吉田さんは「本当にお疲れさま、と言ってあげたい」と大舞台を終えた教え子をねぎらった。

笑顔の南出選手(右から2人目)を囲んで神出市長㊨、吉田さん(同3人目)、西原教育長

笑顔の南出選手(右から2人目)を囲んで神出市長㊨、吉田さん(同3人目)、西原教育長