「生きる」今こそ 小野田寛郎さん生誕100年

「最後の日本兵」として知られる元陸軍少尉、小野田寛郎さん(1922~2014)の本家である、和歌山県海南市小野田の宇賀部神社。同神社の小野田典生宮司は、昨今の新型コロナの影響と思われる自殺や、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースに「とても心が痛む。何があっても死を選んではいけない。改めて『生きる』ことを見つめてほしい」と思いを語る。

3月19日は寛郎さんの生誕100年の日。宮司の祖父と寛郎さんの父が兄弟にあたり、若者の自死に関して寛郎さんは「どこにでも苦しいことはある。逞(たくま)しさを持つべき」と話していたと振り返る。

寛郎さんは1944年にフィリピン・ルバング島に派遣され、終戦を知らされないまま、約30年間潜伏を続けた。晩年は青少年の健全育成活動にも力を入れ、自然の中では自力で生活しなければならなかった経験から、「逞しくあれ」と子どもたちに教えた。

また、社務所には寛郎さんがルバング島での30年間、肌身離さず身に着けていた「千人針」が飾られている。戦地へ向かう寛郎さんに母が持たせたもので、生還を祈りトラも描かれている。何があっても生き延びろという命令を受け、それに徹した人だといい、境内には、寛郎さんの著書『生きる』の中から、寛郎さんの言葉を紹介する石碑が設けられている。

宮司は、刻まれた「人と人とが殺し合う。究極の悪事が戦争だ。始まってしまったら戦うし、勝つためには手段を選ばない。だからこそ絶対に始めてはいけない」とのメッセージにふれ、「戦争に行けば命をなくす。戦うことは無意味。寛郎の精神に今一度寄り添ってもらえたら」と話している。

兵士の生還を祈ったお守り「千人針」

兵士の生還を祈ったお守り「千人針」