甲子園初出場の和東 西山さん夫妻が声援
春夏通じて甲子園初出場の和歌山東が大会初日19日の第2試合に登場、岡山県の倉敷工と対戦した。一塁側アルプススタンドには生徒や保護者らに交じって、硬式野球部の創設に尽力した特別後援会長の西山義美さん(65)と、妻の智代さん(63)の姿があった。公私にわたり、選手の世話をしてきた夫婦は大舞台でひときわ輝いた〝我(わ)が子″の姿を脳裏に焼き付けた。
試合前、和歌山東のカラーの「青」に染まったアルプスが目に飛び込んできた。「こんな日が来るなんて夢のようや」。義美さんの目から涙がこぼれた。自らも同じ色のキャップとジャージを身に着けて応援に臨んだ。
初戦は雨で順延、この日も曇りだが隙間からのぞく東カラーと同じ青空が背中を押している。妻の智代さんは、義美さんと離れた場所に座ったが思いは同じ。試合前、選手が整列すると、2人は立ち上がり「頑張れ」とメガホンをたたいて声を上げた。
義美さんは2005年にPTA会長に就任すると硬式野球部の創設を仲間と訴えた。当時は茶色に染めた髪や制服の乱れた生徒が多く、心を一つにするのは「紀三井寺、甲子園での応援しかない」と思った。10年に部が創設され、自費購入した一軒家で遠距離通学の選手向けの下宿も開いた。今は智代さんと選手7人の面倒をみる。
その一人が先発のエース右腕麻田一誠選手だ。初回、アルプスから表情は見えにくいが、「いつもと変わらない感じ」と義美さんが語ると、智代さんもうなずいた。1、2回と麻田が相手の攻撃を封じると「よう、頑張っとる」と安堵(あんど)の笑みを浮かべた。
下宿では厳しく選手と接する義美さん。エースでも変わらない。洗濯や食器洗いは各自でするのはもちろん、気付いたことはできる人になるよう指導する。「お帰り」。遅くまで練習して疲れ切った麻田を温かい言葉と食事で迎えるのは智代さん。この役割分担が下宿生の心を癒やしてくれている。
マウンドに麻田が立てば、義美さんは腕を組み、智子さんは手を合わせて見つめる。「ここだという場面で頼りになる子」と語る義美さん。「(西山さん夫妻は)親のような存在。甲子園で恩返ししたい」との思いがリンクしたのか、麻田は大舞台に臆することなく力を発揮した。