だんじり「髭籠」を伝承 粉河祭まで1カ月
紀州三大祭の一つに数えられる和歌山県紀の川市の粉河産土(うぶすな)神社の祭礼「粉河祭」。4年ぶりの開催まで1カ月に迫り、粉河のまちでは準備が進んでいる。祭りを彩るだんじり上部に取り付ける竹細工の飾り物「髭籠(ひげこ)」は各町で制作してきたが、近年は後継者の不在が課題となっている。ことしは町を超えて技を伝承する動きがあり、時代に合わせたかたちで、地域の伝統を守り、受け継いでいこうとしている。
6月下旬。梅雨の晴れ間となったこの日、クレーン車で竹細工がつり下げられ、無数の竹ひごが放射状に大きく開いた。
本町の髭籠はことし、石町から技術を教わるかたちで制作。市社会福祉協議会粉河支所の駐車スペースに両町の有志らが集まり、円状になった竹ひごに、麻糸を手際よく編み込んでいった。
髭籠は「餅花(もちばな)」とも呼ばれ、神が目印に降りてくる依代とされる。制作はかつて、竹を割る桶や傘職人が担っていたが、職人の減少などで制作が難しくなり、髭籠を付けない町もある。だんじり運行に関しては、1900年、まちに電線が張られることになり、髭籠を付けた背の高いだんじり運行は一時中断。2005年に電線が地中化されたことで、髭籠のだんじりが復活を遂げたという経緯がある。
本町では、コロナ以前は町外の人物に制作を依頼し、有志が協力して完成させていた。しかし、髭籠の技を熟知するその第一人者も、いよいよ制作が難しいという状況になった。
次世代へ技術を継承しようと、粉河祭保存会の呼びかけもあり、髭籠の知識を持つメンバーが多数在籍する石町の協力を得て、制作することになった。
手間と時間がかかり、繊細さが求められる作業。厳密に言えば、職人によるこれまでの髭籠には及ばないかもしれない。ただ、完成形を知っているのだから、自分たちの手でできることからやってみようと決意。今回、本町のメンバーは2月末の竹の伐採作業から関わってきた。石町の指導を受けながら、5月には約10㍍、幅2㌢の竹を四つに割き、約160本の竹ひごを作った。
「伝統の継承が難しい中、使命感のもと、何とか踏ん張って熱意で取り組んでいる。本町だけでは、この作業は不可能だった。石町さんのご厚意は大変ありがたい」。本町の区長、木村重雄さん(74)は、そう感謝し、「粉河町民の熱意と心意気でできた、誇れる取り組み」と胸を張る。
技を伝える石町の祭総代、岩鶴義明さん(58)は「いい祭りにしたいという思いは同じ。この方法が本当に良いのかどうかは分からないが、協力しながら、一つの町ごとに技を伝え、受け継いでいく人を育てられれば」と願っている。
協力する石町のメンバーの中には中学生の姿も。自主的に参加し、作業を手伝っている。保存状態にもよるが、完成した髭籠は、3年ほどは利用できるという。
本町の祭総代、八塚宏さん(50)は「自分たちがやってみることで、いかに丁寧で精密な手作業だったのかと想像が働く」と先人が守ってきた技に思いを巡らせる。「まだまだ不恰好ですが、今回は一から自分たちの手で作り、失敗から学んだこともある。身をもって体験できたことは大きい」。
粉河祭保存会の箕輪光芳会長(72)は「祭りは、毎年やらんかったら伝統的なものが廃れてしまう。4年ぶりのことしは、また一からという思いで、若い世代へつないでいきたい」と話している。
ことしの粉河祭は7月29、30日。あの祭りの熱気が、4年ぶりに粉河のまちに帰ってくる。