羽田~金浦(ソウル)航空路線就航20周年 日韓民間交流の基礎を支える

今年の11月で羽田空港とソウル金浦空港を結ぶ航空路線が就航して20周年を迎えます。私は当時、小渕内閣の運輸大臣として直接路線開設の交渉を担いました。今思えば、この路線開設をきっかけに羽田空港の国際化への扉が開き、日韓の民間交流に果たした役割を考えれば感慨深い思いがいたします。日本と韓国の関係は隣国であるがゆえに時には緊張感もはらんだ難しい局面を迎えることがあります。一方で、両国の経済交流や文化・観光交流は常に民間同士の直接往来によって支えられています。これからの日韓関係が未来志向の発展的な関係として持続するためにも、羽田~金浦路線のみならず、全国の地方都市が繋がる航空ネットワークの拡充にこれからも尽力したいと思います。
1999年10月、私は小渕第二次改造内閣において、運輸大臣兼北海道開発庁長官として初入閣しました。大臣就任直後に小渕恵三総理から日韓の主要閣僚同士の対話を強化するとの強い意志が示されました。中でも運輸大臣の私には何としても羽田~金浦の航空路線開設を実現する様にとの指示がありました。当時、日本の航空路線は国内線が羽田空港に、国際線が成田空港に就航するという取り決めがあり、羽田空港に定期的に国際便が乗り入れるとなると、成田空港関係者の反発も予想され、大変難しい問題でありました。
私は大臣就任早々に小渕総理とともに日韓定期閣僚会議出席のため韓国の済州島に向かい、カウンターパートである朴智元文化観光体育部長官(後の国家情報院長)と交渉の席に着きました。彼とはその後から現在に至るまで、深い信頼関係で結ばれるご縁となる訳ですが、初めての出会いはこの交渉の席でした。交渉は当初から多くの課題が山積し難航を極めました。韓国と日本で交渉を繰り返し、時には伊丹から仙台への移動の機内でも交渉を重ねました。それは私たちの間にこれはどの様な困難があろうとも必ず実現させなければならないという政治家同士の信念があったからです。この路線が実現すれば日韓の国民感情が大きく変わり、それぞれが互いの国から多くを学ぶことができる。経済交流、観光交流、地方間交流のみならず、日本アニメや韓流ドラマといったサブカルチャーといった文化交流も一気に進む。次の時代を担う若者たちの交流の礎になる。その思いを共有していたからこそ、課題をひとつひとつ粘り強く解決にあたりました。
そして2002年の日韓ワールドカップサッカー開催でのチャーター便運航を経て、2003年11月に定期航空路線が開設するに至りました。私と朴長官との交渉開始から4年後のことでした。コロナ後のインバウンドで真っ先に回復したのもこの路線でした。両国を結ぶ航空路線がこれからも友好関係のさらなる発展に大きな役割を果たすことを期待します。