リスクを負ってでも国の発展を 世界的危機の中で迫られる選択
皆さんこんにちは。秋もいよいよ深まってきましたが、先日は蚊がまだ飛んでいるという状況でした。歴史上類を見ない猛暑に、これからの「不確定な未来」が投影されるようです。
最近では、ウクライナのみならず、イスラエルでも戦争が起き、わが国の周辺も「台湾有事」のような臨場感あふれる危機感が蔓延するようになってきました。塩野七生さんによると、「人間は見たくない未来は見ない動物」ということですが、こうした事態に現在の私たちは目を背けるわけにはまいりません。私たちにとって戦争をしないために必要なことは、周辺諸国から見て、「指一本触れることのできない強い国」を構築しておくことに尽きると思います。
このことは必ずしも「軍事強国」を目指すものではありません。①国際社会で深い信頼を得、多くの同盟国と共に歩む覚悟を持つこと、②経済的に強い国でありつづけられれば、戦争に巻き込まれる恐れは格段に低くなります。
だからこそ、いかにして国際的な信用を得、かつ経済的に強くなることができるのか、これらにつき今、真剣に向き合っていかなければなりません。
まず第一に国際的な信用とは、率直なわが国の立ち位置と目指すべきものを説明できる国になることであります。「経済一流、政治二流」と長くいわれた時代には、日本にはグランドデザインが欠けていると多くの識者が指摘した通りであります。
しかし、今は自由と民主主義を愛しながら取り残される人民の少ない地球であることを目指すものであるという理念のもと、明確に「力による現状変更は許さない」と高らかにに標榜しなくてはなりません。
そして、第二に強い経済であります。これには私自身26年間の国会議員生活において、さまざまな試みを出してきた自負を持って断言できるのですが、わが国はまだまだ危機感が足りないと言わざるを得ないと思います。
インバウンド客への免税の対象品目の拡大等、1円の損もせず、利をとる制度はあります。新技術を社会実装化するために、一定のリスクを取ったり、空き家対策の一環として、その所有者情報(納税者情報)を公開したりすることは、確かに公共入札の性格をゆがめる、あるいは個人情報保護の観点から問題がある等の指摘はあるでしょうが、これをしないことによる社会のディスインパクトは計り知れないものがあります。
今までの延長線上に未来はない、とは多くの者が指摘するところではありますが、現実に、そのリスクの前には今まで通りを志向するのがこれまでの日本でありました。
先述の通り、日本は世界的危機の中で大きな選択を迫られています。このまま世界の二流国になり下がっていくのか、あるいはリスクを負ってでも発展を成し遂げ、国際社会で重きを置かれる国であり続けようとするのか。私は後者のために必要とされるなら、すべてをかける覚悟であります。
しかし、ときどき、人ごとのように「頑張って」と言われ、あなたがやりたいなら応援してあげると言われると、本当に自らが歩んできた道は望まれる道であったのか、と思うこともしばしば。さまざまなリスクテイクを各地方で行わねばならない時代だからこそ、皆さんと共に「全国一律基準」なるものと対峙していかなければなりません。わがふるさとがそれぞれの必要だと思うルールに従って、その有り様を規定していくことこそが全国の活力を生み、「強く」なれるのだと信じて止みません。