沖縄戦の遺骨を収集 県立医大学生が参加報告

遺骨収集事業について報告する(奥から)福田さん、宗川さん、近藤教授
遺骨収集事業について報告する(奥から)福田さん、宗川さん、近藤教授

太平洋戦争末期に激しい地上戦が行われ、犠牲になった沖縄の戦没者の遺骨収集事業に、ことしも県立医科大学医学部法医学講座が参加した。13日、同医大で今回の成果の発表が行われ、参加した学生たちと近藤稔和教授は、「ガマ」と呼ばれる自然洞窟の中から、戦時下の夏の苛酷な環境で身を潜め、亡くなった5~6人と思われる遺骨と遺品が見つかったことなどを報告した。

1945年夏の沖縄戦では、日米両軍の戦闘に巻き込まれた民間人を含む約20万人が亡くなったといわれ、犠牲者のうち2500人以上の遺骨が今も見つかっていない。

近藤教授は、理事長を務める日本法医病理学会の研究者らと共に、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の活動に2018年から協力。今回は、大学院準備課程で法医学を専攻する医学部3年生の福田昭斗さん(21)、宗川桃子さん(21)ら4人の学生と、他大学の教授、学生ら総勢30人が参加し、8月17日に沖縄県糸満市山城の山林にある4カ所のガマを調査した。

いずれのガマも今は人がほとんど立ち入らない場所で、参加者は徒歩で草木をかき分けながら現場に到着。ガマの内部は暗く、中の土砂を運び出し、埋もれた遺骨や遺品の分類作業を進めた。

焼け焦げた遺骨も 火炎放射の攻撃か

今回収集した遺骨は5~6人のものとみられ、高温湿潤の環境に80年近くさらされた影響で損傷は大きく、握ると砕けそうになる骨片もあり、両端が欠損した大腿骨や上腕骨、足指の付け根付近の足根骨、歯などが発見された。

焼け焦げた頭蓋骨も見つかり、同じガマの中に一度溶けた形跡のあるアルミニウムもあったことから、ガマが火炎放射器などで攻撃を受けた可能性がある。

遺品は、茶わんの破片、鏡の破片、日本軍のガスマスクのベルトに使われていたと見られるバックル、軍服のボタン、防弾具の破片、ブーツの一部など多様な品が見つかった。

米軍の不発の手榴弾が発見され、自衛隊による爆発物処理のため、作業の中断を余儀なくされる場面もあった。

教科書にはない学び 学生が体験する意義

福田さんは「夏の蒸し暑い時期の地上戦で、命を守るために沖縄の人々がどんな気持ちでガマに入ったのか。現地で遺骨収集に参加したからこそ、少しでも推測し、理解することができたのではないか」、宗川さんは「これまでは完全な状態の骨を見て学んできたので、遺骨がどの骨のどの部分なのかなかなか分からなかった。法医学の先生方に教えていただき、とても勉強になった。教科書での学びとの違いを実感し、知識に厚みを持たせてくれる経験になった」と貴重な学びを振り返った。

近藤教授によると、法医学の専門家が遺骨収集に協力することにより、DNA鑑定に適した遺骨を現場で判断できる利点があり、歯や大きな塊の部分が残っている骨は鑑定に使用できる可能性が比較的高いという。

学生と共に遺骨収集に参加を続けている意義について近藤教授は「医学を使い、社会に還元できることがあることを体験できる。講義室では教えることができない学びが、学生たちが医師になったときに役立つのではないか」と話している。