県出身者が伝えた「ケンケン漁」

前号では、ハワイの文化と観光が融合した「サーフィン」の歴史と今を取り上げた。雄大で美しい太平洋に浮かぶハワイ。日本からは約6600㌔㍍のはるか南西に位置するが、和歌山とのつながりも。今週は、和歌山とハワイの歴史と今を紹介したい。
時は今から約140年前。1885年、日本政府とハワイ王朝で締結された協定に基づき、22人の和歌山県人がハワイに移民したことは前述のとおり。当初は3年間に限りサトウキビ畑で就労する契約であったが、98年のアメリカ併合後、自由に仕事を選択できるようになり、この頃からハワイへの移民者が増加。
和歌山県内からは主に串本からの移民者が多く、ハワイで漁業を営んだという。ケンケンカツオの漁法で有名な「ケンケン漁」の技術をハワイに持ち込み、先住のハワイの漁師らが行っていた疑似餌を用いた漁法に応用し、成果をあげるように。
ケンケン漁とは、イカに見立てた疑似餌(ケンケン)を引きながら船を進め、カツオなどの魚を釣り上げる日本式の漁法。主に串本の田並地区からの移民が増え、昭和初期には250人余りになったという。
1924年、ハワイの日本総領事館が行った調査によると、オアフ島の全ての漁師のうち、約38%が和歌山県出身者であったという記録があり、ハワイにおける漁業の礎を築くことに大いに貢献したようである。
25年には和歌山県出身者らでつくる県人会が設立されるも、世代が変わるにつれ徐々に衰退し2002年に解散。和歌山とのつながりが薄くなることが懸念されたが、昨年「ハワイ県人会」が再興。ハワイと和歌山の関係が深まり、交流が生まれることを期待したい。(次田尚弘/ホノルル)