目先の利益より長期的な視野を 「新しい資本主義」の定着に期待
ウクライナで戦争が起き、コロナ、原油高騰などの影響でスタグフレーションの様相を社会は示してきました。ことしは沖縄が本土復帰50年の記念すべき年ですが、希望にかけて復帰を願った先人たちはこの時代をどのように感じているでしょうか。
ただ、このような世相の中、ここにきてようやく世界が動き始めたと考えています。「新しい資本主義」という考えのもと、過去の企業活動で重視されてきた株主の利益極大が経済活動の全て、という考え方から従業員、経営者の利潤を確保し、その活動自体が地域や自然に調和が取れる理解が得られること、という考え方に変わってきました。
これまでの新自由主義資本主義では、地道な研究や経済活動より短期的な利潤を確保できるマネーゲームが横行するようになったことへの反省なのですが、このことに注目するのは、「ご本家」のアメリカで新自由主義経済のもと広がった所得格差を是正するこの動きを、岸田政権が本格的に「輸入」されようとしているからです。
目先の利益より長期的な視野をもて、というのなら、ようやくわれわれ日本人が土台としてきた(一部の「成功者」は違うかもしれませんが)世界観に国際社会が追いついてきた、というべきでしょう。
このことは企業活動に限ったものではなく、あらゆる政策に影響を及ぼします。例えば私が議連の創設に関わりました道の駅もそうです。総数も1194と過去最大になってきた道の駅ですが、その特色は民間に運営させるとしても公共機関がオーナーとして関与させること。ドライブインのような完全な民設民営ではない点です。そのことで得られるメリットデメリットはしっかり踏まえておくべきでしょう。
議連でもこの話題が出て、多くの議員からはやはり公設でなければならないという意見が大半でした。過疎地でも災害の時に情報や物資の集散地として威力を発揮するだけでなく、普段から日々の買い物、観光の拠点として役割を果たしてくるようになりました。一方、こうした機能強化が進めば進むほど、それに伴うコストも増えることは想像にかたくなく、経営は公設である以上、最終責任は住民国民にかかってくることになります。
このことは新自由主義経済一点張りであった「郵政民営化のあの時代」ならば到底受け入れられるものではなかったでしょう。ユニバーサルサービスはかかるコストと天秤にかけて「それなりに」提供するものであったからです。しかし時代は変わった、と感じられるのは若手議員の多くからこそ、こうした地域を守るべきだという意見が多く出てきたことです。
確かに財源には限りがあり、いたずらに無駄を許してはなりません、しかし、政策の全ては国民国土の均衡ある発展のためにあるのでなければ格差は広がるばかり。トリクルダウンは自然には起きません。要は新しい資本主義とは何が次なる成長を産むかを綿密に計算した上で、それが自然的制約や地域の理解にそぐうものである限り、かかるコストは負担していこうというものだと考えています。
選挙制度の改革問題、衆議院はいわゆる10増10減の問題もあり、参議院も合区問題をかかえています。しかし、一票の格差が一票の重みのみで図られるものか、一人一人の意見がより国政に反映されるためには面積の要件も必要なのではないか? 議論が進んでいますが、ここいらで思い切った大改革が行われない限り、やがて地方の国会議員はいなくなる日も来るかもしれません。
研究開発投資も農水産業も国の礎でありながら、リターンの少ない生業とされてきました。何をしたいかわからない、と揶揄(やゆ)される「新しい資本主義」。本当の意味で定着することを期待しつつ。