語り継ぐ思い新たに 和歌山大空襲77年
和歌山大空襲から77年を迎え、犠牲者を悼む和歌山市戦災死者追悼法要が9日、西汀丁の汀公園戦災死者供養塔前で行われた。参列者は非戦への思いを新たにし、平和の尊さを再確認した。
同市は太平洋戦争中、米軍から十数回の空襲を受け、約1400人が犠牲になっている。1945年7月9日の大空襲では市内の中心部が焼け野原となり、人々が避難してきた汀公園では火災旋風などで748人が亡くなった。
法要は市戦災遺族連合会(田中誠三理事長)の主催で毎年行われている。新型コロナ感染拡大防止のため、昨年に引き続きことしも規模を縮小。役員7人のみの参列となった。
田中理事長(86)は「戦争の悲惨さを若い世代に語り継ぐことが私たちの務め。遺族会は少なくなってきているが、体が動く限りずっと続けていきたい」とあいさつした。市仏教会の僧侶が、経を唱える中、参列者は一人ひとり戦災死者の霊に鎮魂の祈りをささげながら焼香した。
参列した同市柳丁の藤田俊夫さん(87)は、当時10歳で同級生の多くを消息がつかめないまま亡くした。「空襲があった日、家族で穴の中に逃げたが、すさまじいごう音が夜中から朝まで続き、『神様助けて!』と大きな声で何千回も声が枯れるまで祈ったことが忘れられない」と振り返った。
例年、法要の際に奉納している千羽鶴作りには市立八幡台小、野崎西小、伏虎義務教育学校、和歌山大学付属中学校4校の生徒が参加し、法要の前に奉納した。