県営向ノ芝球場跡など認定 県内野球の聖地
野球伝来150年を記念し、日本野球機構と全日本野球協会は19日、日本全国の野球にまつわる「聖地・名所150選」を認定した。和歌山県からは、皇太子時代の昭和天皇が初めて野球観戦した「旧制和歌山中学校(現桐蔭高校)運動場スタンド」、夏の甲子園を目指す球児の戦いの舞台「紀三井寺公園野球場」、「県営球場(向ノ芝球場)跡(現県立体育館)」の和歌山市内3カ所が選ばれた。
昭和天皇が初観戦 初連覇の年に完成
旧制和歌山中運動場スタンド(同市吹上)は、同校が全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会)で史上初の連覇を成し遂げた1922年の11月、県や市、有志からの寄付によって同校運動場に建設されたコンクリート製の観客席。
同年12月2日、当時皇太子だった昭和天皇が同校の現役生徒とOBによる紅白戦を観戦した。昭和天皇の初の野球観戦であり、四国で陸軍演習を視察した後の和歌山入りで、学校側はスタンドなどを突貫工事で完成させ、出迎えたといわれている。試合には約5000人が詰め掛け、3―1でOBチームが勝利した。
同校運動場は「吹上球場」と呼ばれ、戦後、県営球場ができるまでは和歌山大会の会場だった。細部の変更はあるが、スタンド全体の構成は当時の様子をよく残し、歴史的な価値は高く、2021年2月に国登録有形文化財となっている。
県内初プロ公式戦 大投手200勝の舞台
県営球場(向ノ芝球場)は現在の県立体育館(同市中之島)の場所に1952年春に完成。こけら落としとして同年4月13日、県内初のプロ野球公式戦「松竹―名古屋」が行われ、松竹に地元の海南中(現海南高)出身の平野謙二内野手が在籍していたこともあり、満員の1万7000人が観戦に詰め掛けた。
55年10月に行われた巨人―広島戦では、巨人の藤本英雄投手がプロ野球史上6人目の200勝を達成。藤本は50年に日本初の完全試合を達成し、通算防御率1・90(2000投球回以上)など日本球界最高峰の成績を誇る大投手だが、この時はすでに体力も衰え、リードした試合で5回から登板し、最後まで抑えての勝利だった。藤本の同年の登板はこの1試合のみで、そのまま現役を引退した。
56年にはパ・リーグの高橋ユニオンズの春季キャンプも行われ、親しまれたが、紀三井寺公園野球場の建設に伴い63年で閉鎖された。
現在のメイン球場 高校球児らが熱戦
紀三井寺公園野球場は65年に完成。全国高校野球選手権和歌山大会の会場であり、県内のアマチュア球界のメイン球場となっている。
プロ野球の会場としては、73年に南海―ロッテの公式戦を初開催し、87年までにパ・リーグの4試合(全て南海主催)を行った。
高校球史に残る79年の夏の全国高校野球選手権、延長18回を戦った和歌山代表・箕島と石川代表・星稜のOBメンバーが、94年に再試合を行った会場としても知られる。
2006年に照明設備が設置され、同年の秋季高校野球近畿大会で大阪桐蔭の中田翔選手(現巨人)が188・41㍍の超特大の場外本塁打を放ち、そのボールは現在も認定証盾とともに、隣接する陸上競技場1階展示室に飾られている。
スタンプラリー 23日~聖地巡り
「聖地・名所150選」は、野球関係団体や一般からの公募で寄せられた候補地の中から、主催の2団体と野球殿堂博物館が協議の上、認定した。150カ所の詳細は特設サイトで紹介している。
23日からは、全国の認定地を巡るスタンプラリーを開催。特設サイトからアプリのダウンロードなどもできる。