花園で躍動する仲間描く 和歌山市の廣野昇さん

毎日油絵を描き続ける和歌山市の廣野昇さん(56)。18歳の時にラグビーの試合で脊髄を損傷し、胸から下の感覚を失った。リハビリのため、15年前に絵を描き始めた。「努力すれば少しずつでもうまくなる」という面白さから風景や人物画を50点ほど描いてきた。昨年からラグビーの絵に挑戦し、「動きのあるものは難しいが描いていて楽しい」と、キャンバスに向かっている。

廣野さんはラグビーの強豪、和歌山工業高校の選手だった。3年生の6月、県代表を決める国体予選の決勝で脊髄を損傷した。後ろに飛んできたボールを取りに行こうとしたところから記憶がないという。諦めず、できることは何でもしようとリハビリに励み、腕が動くようになり、手術で手首も動くようになった。

昨年10月、東大阪市花園ラグビー場で開かれた高校ラグビーOBチームによる交流大会「マスターズ花園」に、和歌山工業高校チームが出場。かつて聖地花園を目指した40歳から63歳の元ラガーマン50人が集結。廣野さんもその一人として当時と同じ背番号3番を付け参加した。2年生の時に控え選手として花園に来て以来のベンチ入り。対戦相手は岩手県の黒沢尻工業高校チーム。共に汗を流した仲間と再び思いを一緒に戦った。「『和工魂』を持って出場しているつもりで試合に挑んだ。『パス行け!』など思わず大きな声が出ていた」と振り返る。試合は10対10の同点引き分け。「自分がやっていたラグビーの記憶が上書きされた。体も心も熱くなる一日だった」と話す。

家に戻り、試合を思い出しながら描き始めた。廣野さんは指先が動かないため、筆を指で挟み、太さと形が違う筆を20本ほど使い分け、点を重ねるように少しずつ描く。

絵には60歳の先輩2人がボールを持って走る姿を表現。「表情を似せたい」と写真を何度も見て描き、約3カ月かけて仕上げた。「来年は勝って喜ぶ姿を描きたい」と期待し、あと2枚ぐらい描く予定だという。

 

心も体も熱くなった試合を絵にした