「マラソンの父」の原点訪問 日本の五輪参加100周年

 オリンピックのシーズンです。 7月14日、 私、 玉置公良はロンドンへ、 ではなく、 ストックホルムへ行っておりました。 今年は日本がはじめて参加したストックホルム五輪が開催されて100周年を迎え、 その記念式典がストックホルムで開催されたからです。 かつて、 陸上競技をやっておりました私にとって(最近健康のためにまた走り始めました)関心の深い催しの1つだったからです。

 1912年のストックホルム・オリンピックに日本代表としてマラソンに参加した選手が金栗四三さんでした。 高温下でのレースで、 途中で倒れましたが、 これが大会関係者には伝わらず、 「金栗選手は行方不明になった」 と、 現地では語り継がれていました。

 実はこのとき、 金栗選手を救助し、 お世話してくれたのがペトレ家の人たちでした。 そして、 金栗選手は帰国後、 ストックホルムでの交流、 経験を生かして、 日本のスポーツの向上、 特に、 箱根駅伝の開催や高地トレーニングの導入など、 マラソン界の発展に尽力され、 「マラソンの父」 と称されています。

 こうした金栗さんの話を昨年末に郷土和歌山県の作家、 佐山和夫先生から伺った私、 玉置公良は以下のように考え、 行動をはじめます。 「100年前、 金栗さんが救助され、 お世話になったことに対して日本から公式な謝意がない。 お世話になった方にはお礼をするのが常識。 現地で100周年を記念して式典が開催されるこの機会に何らか形で謝意を行うことが日本のスポーツ界、 国際交流にとっての日本の果たす使命だ」。 せっかちな私ですので、 早速、 今年の2月、 奥村展三文部科学副大臣、 日本オリンピック委員会の市原則之副会長など関係者と面談し、 日本オリンピック委員会からも謝意を表するという方向で話が進み出しました。 また、 現地では金栗四三さんを讃える記念銘板の設置計画も進む、 など日を追うごとに盛り上がりを見せてきました。

 こうした経過を受けて、 日本オリンピック委員会の竹田恒和会長が6月8、 9日の式典に出席、 スウェーデン・オリンピック委員会とペトレ家に対して謝辞を述べ記念品を贈呈することが実現し、 スウェーデン国内でも大きくとりあげられました。

 そして、 7月14日のストックホルム五輪100周年記念マラソン大会記念式典に玉置公良と金栗さんの出身地熊本県玉名市長高嵜哲也氏が出席し、 ペトレ家に対して文部科学大臣名の感謝状を贈呈。 併せて金栗四三さんの銘板除幕式を行い、 金栗さんのモットーであった 「体力、 気力、 努力」 という言葉を引用して玉置公良がスピーチさせていただきました。

 式典のハイライトは、 100年前にオリンピックに参加した国々から1万人を超える参加者のあったフルマラソンです。 そこに金栗さんのひ孫の蔵土義明さん(24)も参加され、 途中、 曽祖父が救助されたペトレ家の人たちと記念撮影をするなどの演出もありました。 彼がゴールした時は大歓声があがりました。

 国際交流の歴史とは(人と人との交流)が作っていくのだとしみじみ感じたストックホルムでした。 お金では作れない人と人との絆は100年の時を経て 「真のスポーツ平和国際交流」 のモデルとして国内外に発信していかねばならないと思います。 駅伝で言えばタスキ・リレーです。

 私、 玉置公良も、 今日までそのポジションの国会議員としてタスキを受け取り取り組ませていただいたことに運命を感じるとともに心から感謝しております。 日本人がオリンピックに参加してから101年目の新しい歴史のスタートが切られます。

 金栗さんはスポーツを全国民に底辺を広く普及することを目指しました。 その原点を教えられたのが100年前のストックホルム大会でした。

  「これからのスポーツは開放的。 量が増えなければ質は向上しない。 誰もがスポーツをする権利を持つ」 という精神が、 昨年改正されたスポーツ基本法に反映されました。 金栗さんが目指した精神が100年目に花開いたのです。