「恩」がつなぐ和歌山と静岡 300年前の歴史を後世に
静岡市葵区。安倍川に程近いこの地に、和歌山県と静岡県の有志により建てられた碑がある。碑が建てられる機縁となったのは、今から約300年前の元文3年(1738)のこと。
当時、この付近の安倍川には橋がなく、人を肩や輦台(れんだい)に載せて川を渡すことを職業とする「川越し人足(かわごしにんそく)」と呼ばれる人々が活躍していた。川越しの料金は決して安いものではなく、自らの足で川を渡る人々もいた。
ここを通った紀州出身の漁夫も、川越しの料金を節約しようと自ら安倍川を渡った。しかしこの漁夫はためていた百五十両もの大金を入れた財布を、誤って川に落としてしまった。偶然、その場に居合わせた川越しの人夫の一人(喜兵衛)がそれを拾い、財布を落とした漁夫を追い掛け届けたという。その行動に感謝した漁夫は礼金を渡そうとしたが、喜兵衛は「当然のことをしたまでだ」と決して受け取らず、困った漁夫は駿府の奉行所に礼金を届けた。町奉行が喜兵衛を呼び出し礼金を渡そうとしたが受け取らないため、漁夫に礼金を返し、代わりに奉行所から褒美の金を渡したという。
この話に感銘を受けた駿河出身の僧侶「白隠慧鶴(1686―1769)」が自身の著書で紹介したことで全国に知られることとなり、昭和初期の小学校の教科書に採用。それが契機となり、昭和4年、和歌山県と静岡県の学童や有志の募金により碑が建てられるに至ったという。
碑には「難に臨まずんば忠臣の志を知らず」「財に臨まずんば義士の心を知らず」と書かれ、人の心の美しさや、あるべき姿を伝えている。「恩」でつながる地域と地域の姿にふれ、このような歴史を後世に伝え、広めていく大切さを感じさせられた。
(次田尚弘/静岡)