最後の入団式 全国2番目の本町交通少年団
全国で2番目に早く誕生した交通少年団、和歌山市の「本町交通少年団」(栗生誠悟団長)が13日、最後となる43回目の入団式を迎え、本町小学校の6年生5人と4年生3人が団員に加わった。本町、城北、雄湊の3小と伏虎中が来年度から統合されるため、本町交通少年団の名称での活動は本年度までとなる。
入団式は本町連絡所で行われ、結成当時から活動に関わっている前団長の野村晴一さん(90)、和歌山西署交通課の下地勝則課長、堂本直樹警部補、県交通安全協会の松本和也事業課長、交通安全母の会の﨑山妙子さんらが出席し、新入団員を激励した。
入団した6年生の向井心乙(みと)さん(11)は「自転車の乗り方や信号などの交通ルールを守って生活します」と決意。団員は、交通マナーの啓発や地域のカーブミラーを磨く奉仕活動などに取り組んでいく。
本町交通少年団が誕生したきっかけは昭和48年に本町小校区の北新橋西詰交差点で起きた交通事故だった。女子児童が重傷を負ったため、和歌山市で初めて「交通安全委員会」を結成。野村さんや当時の連合自治会長、校長らが東京都江戸川区の「小松川交通少年団」の取り組みに学び、翌49年9月に全国2例目の交通少年団を発足させた。
以降、児童が交通安全について学び、地域に呼び掛けるさまざまな活動を展開。本町公園で、トラック協会などから寄贈されたゴーカートに児童が乗り、遊びながら交通ルールを学んだこともある。ピーク時は団員が115人に達し、取り組みは各地に拡大。県内の交通少年団は最大13(現在は8)に広がった。
本町交通少年団の歴史をつぶさに知る野村さんは、団結成以前から地域の交通安全に尽力。昭和30年、旧丸正百貨店前に市内で初めて信号機が設置された際、野村さんは本町交通指導員会の副会長。当時は市電とバスの乗客の多くが丸正やぶらくり丁へと歩き、交通は混乱していたという。その後、信号機の設置は進み、ことし3月末現在で県内1837カ所となっている。
40年以上にわたり交通指導員を務め、交通安全かるた、すごろくを考案するなど団の活動を支え続けてきた野村さん。「活動を振り返ると感慨深いです。健康が続く限り、何らかのお役に立ちたい」と話している。