大川窯に後継の火入れ 永久保存会が管理
中村さんが創業した「大川窯」で3日、窯を継承する「大川窯永久保存会」(得津修司会長)による火入れ式が行われた。
中村さんから窯を閉じるとの話を聞いた弟子の得津会長(69)は、自身が理事長を務めるNPO和歌山勝手連ネットワークの仲間に相談し、保存会を発足。
同NPOは、和歌山の学術、文化の振興や子どもの健全育成、観光振興などを目的に活動し、会員は約30人。今後は保存会の運営を担い、大川窯の維持と管理を行う。井本源士事務局長によると、物品販売の利益や、会員、備前焼に関心のある人の寄付などを費用に充てる。
大川窯が位置する場所は、戦時中は弾薬庫が置かれた国有地だったという。窯に適した場所だとして中村さんが窯を築き、数々の作品を生み出してきた。
窯の中にはつぼや花瓶、ビールジョッキなど約300点が並べられ、迎えた火入れ式の日。立ち会った中村さんは「軽率なやり方はしないようにしています」と、伝統的な形式を踏まえて、干潮を示す時刻から約1時間後の午前8時に火入れを決定。窯の周囲を塩で清め、「無事焼成ができますように」とかしわ手を打ち、点火した。
5日に及ぶ焼成の温度は、1日目は150度前後で推移させ2日目には400度、3日目に800度と、ゆっくりと上げる。3日目の夜に1050度まで上げたら、一度950度まで下げ、4日目ごろからさらに1250度まで上げる。
温度管理に不具合が生じると作品が割れることもあるため、まきのくべ方には細心の注意が必要とされる。保存会メンバー約10人は、中村さんの記録ノートを頼りに、分担して昼夜を通して窯の火の管理を行った。
夜間を担当した得津会長は「火の番は言葉にできないくらい大変ですが、まきが勢いよく燃える様子を見ていると、不思議に元気が出てきます」と話し、大川窯の継承に意欲と決意を示していた。