福島の今知る 原発がこわい女たちの会30年
市民グループ「原発がこわい女たちの会」は5月28日、結成30年の集いを和歌山市手平の和歌山ビッグ愛で開いた。東京電力福島第一原子力発電所の事故について責任を追及する活動を続けている、福島原発告訴団団長の武藤類子さんを講師に迎え、約80人が福島の現状や課題を学び合った。
同会は、1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故をきっかけに、県内にあった原発建設計画を止めようとの思いから、事故から約1年後に活動を開始。ことし3月で結成30年を迎えた。
結成30年の集いを迎え、同会世話人代表の松浦雅代さんがあいさつ。結成当時に日高町で進行中だった原発建設計画(後に中止)にふれ、立地予定地から県内最大の人口密集地である和歌山市は直線距離で35㌔圏内にあったことを紹介し、当時すでに18年間にわたって計画に反対を続ける人々がいて、その活動の蓄積の上に、チェルノブイリ原発事故をきっかけとして、ようやく計画を中止することができたことを紹介した。
福島原発事故については、国が出した原子力緊急事態宣言が、6年以上も経過した現在も解除されていないのに、原発の再稼働が進められていることに対し、「福島の事故は全然終わっていない。私たちはもっと反対の声を上げていかなければ」と話した。
福島県三春町に住む講師の武藤さんは「福島原発事故 7年目の今」と題して講演した。放射性物質を含む汚染水が発生し続け、対策の決め手がない現状を紹介。土壌の除染については、地面を削って発生した廃棄物が増え続け、福島県内には1㌧の容器で2200万個に達していることを写真と共に示した。仮置き場がない廃棄物は家庭の庭に埋められ、庭がない場合は容器に入れた状態で部屋のすぐ外などに置かれ、「厳正に管理すべきものが日常生活の中にある」と現状を話した。
避難指示区域の解除が進められていることには、安全とされる基準値には議論があるとしながらも、当初の基準値が理由が不明確なままに緩和され、解除されることを疑問視。「『安全』というプロパガンダがなされている。安全だから帰ってきて、ではなく、我慢して帰ってきて、が本音だ」と厳しく語った。