絵画土器や根来寺遺構 京奈和の発掘成果
和歌山市岩橋の県立紀伊風土記の丘で9月3日まで、夏期企画展「道路の下から新発見~京奈和自動車道建設に伴う発掘調査からわかったこと~」が開かれている。ことし3月に県内全線が開通した京奈和自動車道の建設に伴って行われた遺跡の発掘調査で見つかった、主要10遺跡の出土遺物約180点を遺跡の時代順に展示している。
縄文時代後期の大規模集落跡である中飯降遺跡(かつらぎ町)では、西日本最大級の大型竪穴建物の遺構を発掘。今回の展示では、直径15㍍の大型竪穴建物から出土した縄文土器や石鏃(せきぞく、石のやじり)などが並ぶ。また、柏原遺跡(橋本市)で出土した、県内では10体ほどしか確認されていない土偶の一部分も見られる。
柏原遺跡は弥生時代に集落として栄え、多数の方形周溝墓が発掘された。墓には生駒(奈良県)から持ち込まれたとされる茶褐色の壺が複数並べられており、同遺跡と生駒の間に交流があったことがうかがえる。
同時代の遺跡では、西飯降Ⅱ遺跡(かつらぎ町)でも奈良で多く作られたシカが描かれた絵画土器が出土し、紀の川を通して奈良と交流していた可能性が考えられている。
岩出市では、中世に一大宗教都市を形成し、羽柴秀吉に焼き討ちされた根来寺の遺跡を調査しており、同寺と周囲に立ち並んでいた子院の道路遺構から、大甕(おおがめ)や茶わん、五輪塔などが発掘された。五輪塔と宝篋印塔(ほうきょういんとう)は焼き討ちで捨てられ、水道として遺構に広がっていた石組溝の中から見つかった。他にも、倉庫で使われていた三石(約540㍑)が入る備前焼の大甕や寺の鬼瓦も出土している。
焼き討ちの直前まで、五輪塔などが大量に作られ、当時の繁栄をうかがわせる同寺だが、紀州攻めの後約200年間は目立った出土物がないことも発掘の成果から分かった。
江戸時代の山口古墳群(和歌山市)からは、小石に法華経を一文字ずつ書いた経石を納めた礫石(れきいし)経塚が見つかり、約4000個の経石の一部を展示。同じ文字でも筆跡が異なり、複数人で書いて納めたと考えられている。
午前9時から午後4時半(入場は4時)まで。同展では夏休み企画として、全問正解すると缶バッジがもらえるクイズラリーも実施中。問い合わせは同施設(℡073・471・6123)。