晴れの日飾った留め袖 小川地区に60年保管

 春を迎え、卒業式、入学式と晴れ着に身を包む機会が増える季節――。和歌山県紀美野町の小川地区には、かつて住民同士の晴れの日に貸し出されていた「留め袖」が今も公民館に伝えられている。

 同地区にあった旧海草郡小川村は1953年、7月に大水害、9月に台風に相次いで見舞われ、大きな被害を受けた。当時の村長は村の復興を最優先とするため、村民に倹約を呼び掛ける生活改善運動を進め、村民同士が結婚する際は、花嫁には役場が用意した留め袖を貸与することにした。被災した故郷から人が流出することを防ぐ目的もあったという。

 しかし、小川村は55年に町村合併で野上町となり、実際にこの留め袖で挙式した村民はわずか。保管していた小川地区公民館が2度にわたって移転したこともあり、留め袖の存在を知る人も少なくなっていった。

 この留め袖に身を包んで結婚式を挙げた一人、新谷垣内悦子さん(81)は、留め袖をこれからも保存し、村の復興を願った当時の村長の見識を後世に伝えたいと願っている。

 住民が再び留め袖を目にしたのは2012年。新谷垣内さんらが、夫の哲爾さん(84)が館長を務める現在の公民館の押し入れの中で、大きな花瓶の下敷きになっていたところを発見した。

 以前と変わらぬ美しさを保っていることに胸を打たれた新谷垣内さんは、ともに着物をリフォームする活動をしている木内十美子さん(71)に保存方法を相談。木内さんは、本漆塗りの台を提供し、留め袖の裾の華やかな柄が鑑賞できる几帳(きちょう)の形に仕上げた。

 また、留め袖が村民の結婚式に使われた記録として、1959年1月に挙式した新谷垣内さんと、もう一人の婚礼写真を資料として一緒に残すことにした。

 「当時の村長の計らいは粋だったと思いますね」と新谷垣内さんはほほ笑む。

几帳に生まれ変わった留め袖の前で婚礼写真を手にする新谷垣内さん

几帳に生まれ変わった留め袖の前で婚礼写真を手にする新谷垣内さん