阿須賀神社の出土品が重文に 文化審が答申

 国の文化審議会(佐藤信会長)は、新宮市の阿須賀神社境内の出土品を重要文化財(美術工芸品)に指定し、橋本市の利生護国寺山門など3件を、登録有形文化財(建造物)にするよう、文部科学大臣に答申した。これにより、和歌山県内の重要文化財(美術工芸品)は310件、国登録有形文化財(建造物)は85カ所250件になる。

 重要文化財に指定される見込みとなった阿須賀神社境内出土品は、1959年に伊勢湾台風による倒木で発見されたもの。平安時代末期から室町時代に作られた御正体(みしょうたい)193点、銅鏡2点、一字一石経など総計350点と御正体の残欠など一括で構成されている。

 仏を表現した御正体は、鏡に線刻や墨書した鏡像と、円形の銅板に像を刻んだり、別製の像を取り付けたりした懸仏(かけぼとけ)がある。

 御正体に表された尊像は、半数近くが阿須賀神社の祭神の本地仏「大威徳明王」。他に、熊野三山の祭神の本地仏「薬師如来」「阿弥陀如来」「千手観音」なども含まれる。

 出土品は鏡像から懸仏への変遷を示す一括資料で、神仏習合をもとに隆盛を極めた中世の熊野信仰の在り方を示すものとして高く評価された。

 有形文化財に登録の見込みとなった橋本市隅田町の利生護国寺山門は、江戸時代中期に建設されたと推定され、間口一間の四脚門形式、屋根は本瓦ぶき。古刹の山門らしい外観で、地域の核として存続してきた寺院の歴史的景観を担う貴重な建物であると認められた。

 また、九度山町の岡家住宅は、高野山の最も中心的な荘園だった官省符荘(かんしょうふしょう)の管理を担った農家。主屋、部屋、西蔵・米蔵、中門、門屋があり、このうち、1871年に建てられた主屋は、煙抜きや換気の機能があるともされる小さな屋根・越屋根(こしやね)が取り付けられているのが特徴的。全体として重厚な外観で、歴史的な景観に寄与している。同町では初の登録有形文化財となる。

 新宮市の三輪崎青年会館は、地元の篤志家から土地の提供を受けて、1927年に建築。青年会の集会や選挙の投票所など、公共の用途の他、芝居鑑賞など公民館的な文化施設として使われてきた。現在は「三輪崎の鯨踊」(県指定無形民俗文化財)の練習場にもなっている。

 内部は舞台を備え、2階に桟敷席がある。正面に日の出マークを付けた特徴のある洋風の外観で、三輪崎の町並みのシンボルとして長年親しまれている。熊野地方で現存する数少ない青年会館の一つで貴重であると評価された。

阿須賀神社境内から出土した御正体群(県教委提供)

阿須賀神社境内から出土した御正体群(県教委提供)