人が紡いだ交流 県と山東省の友好提携35周年
和歌山県と中国・山東省は1984年4月に友好提携を締結して35周年を迎えた。ことしはビジネスセミナーや旅行業者を対象にしたプロモーションツアーなど、相互交流の推進を図る記念事業が行われ、3月には龔正(きょうせい)省長一行が来県し、10月には仁坂吉伸知事が山東省を訪問する。さらに発展が期待される両者の友好関係のスタートを振り返る。
1972年(昭和47)9月、日中の国交が正常化し、両国の地方自治体同士が友好提携を結ぶ機運が高まった。
県の記録によると、翌73年5月に当時の大橋正雄知事が地方自治体首長訪中代表団の一員として訪中した際、江蘇省との友好提携を申し入れる書簡を携えており、74年6月に県議会の日中友好議員連盟が訪中した際も、大橋知事は同省との友好提携を再度申し入れる親書を託している。
76年4月には、仮谷志良知事を団長とする「県日中友好の翼」が訪中し、仮谷知事は、同省の中でも特に蘇州との提携を望んでいるとする書簡を持参した。
このように県は当初、江蘇省との友好提携を模索していたが、記録には、80年11月の日中友好都市選定推進会議で、県と山東省、和歌山市と省都・済南市の友好提携を推進することが決定したとの記述が突如現れる。
提携先の候補が変更された詳しい経緯は分からないが、山東省外事弁公室主任や済南市長などを務めた徐天瑞さんの存在が背景にあったようだと、元県議会議長で県日中友好協会理事長なども務めた門三佐博さん(83)は証言する。
徐さんは、日中友好県議連の最初の訪中で団長を務めた山崎利雄元県議会議長と親交が深く、2人を直接知る門さんは、徐さんが山崎元議長に、山東省、済南市との提携がよいとアドバイスしたと耳にしている。
日中友好都市選定推進会議での決定を受け、81年1月、仮谷知事は、県と山東省、和歌山市と済南市の友好提携を申し入れ、双方の協議が加速。83年1月14日には、和歌山市と済南市の提携が一足早く調印された。
県と山東省の提携調印式は84年4月18日、梁歩庭省長を団長とする訪問団6人を和歌山に迎え、県庁正庁で行われた。
両者の協議の過程では、重要な人物との出会いも記録されている。82年4月に山崎元議長らが訪中した際には、両国友好に先駆的な役割を果たした廖承志・中日友好協会初代会長とも会談し、友好提携問題について話し合っている。
廖承志は県日中友好協会に「中日友好千年萬年」の書を贈り、それを基に和歌山市の紀三井寺境内に記念碑が建立されるなど、和歌山との関係も深い。
県と山東省は多分野での交流を図るようになり、84年12月に和歌山下津港と青島港が友好港に、86年5月に県立医大と山東医大が友好校になった。さらに、2007年11月には両県省の友好交流関係の発展に関する覚書、09年12月には県商工観光労働部と山東省旅遊局の友好協力覚書への調印が行われている。
門さんは84年以来、十数回の訪中を経験し、県との友好関係発展に尽力した功績により「山東省栄誉公民」の称号を贈られている。多くの功労者を見てきた体験から「行くたびに見違えるように発展していく山東省と和歌山との友好関係をつくってきたのは人のつながり。今も山東省と和歌山は人でつながっている」と話している。
仁坂知事の訪中を控え、友好提携35周年が大詰めを迎えるのに向け、2009年に始まった山東省との人事交流を経験した県職員が、現地での体験や動向を伝える連載「中国山東小記」が本日付から始まります。毎週金曜付7面で全6回の予定です。