国指定文化財「水軒堤防」の歴史

前号では、現存する汐入様式の庭園で、国指定の文化財となっている養翠園の歴史と魅力を取り上げた。今週は少し北へ進路を進め、養翠園の程近くから北へ延びる水軒堤防を紹介したい。
水軒堤防は、江戸時代後期に築かれた延長約2・6㌔の防潮・防波堤防で、堤防より海側のエリアが埋め立てられるまで150年以上に渡り、西浜地域を高潮などから守ってきた。現在は厚い砂に覆われ堤防の姿を確認することは難しいが、平成17年から21年に行われた発掘調査により、中堤防は高さ3・7~4・4㍍、幅27㍍以上であることが明らかとなっている。
石堤は海側に和泉砂岩を、陸側に結晶片岩と砂岩を帯状に積み、精緻で堅固なもの。その背後に土堤を築き、石堤の底には胴木と留杭を用いて地盤対策を行うなど、当時の技術を結集して造られたものといえよう。
堤防は令和元年10月に国指定文化財史跡・名勝に指定。発掘調査などでその構造と時期が判明しており、近世の土木技術や防災の有り様を理解する上で重要であると評価された。指定面積は約8万平方㍍で、延長約1・5㌔の区域。
空から見ると堤防の存在が見てとれる。堤防に沿って植えられた松林がまるで龍のごとく南北に延びており、この堤防の役割と壮大さがうかがえる。現在、堤防の一部が養翠園近く(旧・南海電鉄水軒駅付近)に移築保存され、その構造を知ることができる。
長年にわたり和歌山市を守ってきた水軒堤防。ぜひ、現地でその姿にふれてみてほしい。
(次田尚弘/和歌山市上空)