西条藩を知る(13)鉄道技術者・島秀雄氏の功績
前号では、東海道新幹線建設の推進者として知られる十河信二氏が新幹線開通への思いを記した、東京駅18、19番線の新幹線ホーム上の東京駅新幹線記念碑を取り上げた。今週は十河氏と二人三脚で新幹線開通へ導いた、島秀雄氏の功績を紹介したい。
島秀雄氏(1901―98)は、和歌山市出身の父を持つ鉄道技術者。父の赴任先である大阪府で生まれた。東京帝国大学工学部を卒業後、大正14年(1925)鉄道省に入省。主に蒸気機関車の開発に携わった。
設計主任として携わり本人も認める会心作であったのがデゴイチの愛称で知られるD51型蒸気機関車。主に貨物輸送に用いられたD51は、合計1115両製造されるいわばヒット作。ディーゼル機関車や電気機関車も含め、1形式の機関車では過去最大の製造数で、戦中・戦後の輸送を支えてきた存在。
昭和12年(1937)には世界各国の鉄道研究のため長期の海外視察を行い、その成果を生かすべく、昭和14年(1939)に発足し、父・安次郎氏が特別委員長を務めた鉄道幹線調査会で、電気を動力とした新幹線の計画を立案している。
戦争の激化により計画は頓挫。戦後、東海道線(東京―熱海)における16両編成の長距離用の電車を計画するなど輸送力の増強に尽力。しかし、国鉄車両局長の際、戦時中に限られた部材とコストにより設計・製造された電車による事故が相次ぎ、車両の安全対策を実施した後、その職を辞した。
国鉄を離れた島氏であったが、昭和30年(1955)十河氏の国鉄総裁就任に際し、十河氏からの要請で副総裁格の技師長として復帰。翌年5月、島氏を会長とする東海道線増強調査会が発足し、島氏は父の遺志を継ぐことになる。
(次田尚弘/西条市)