原発問う「国民投票」を 民主主義成熟の一歩に
①民主主義を鍛える国民投票
原発は電力の安定供給をもたらし、 日本の経済発展に寄与してきた一方、 私たちの命と健康に大きな悪影響を与える可能性を持つ技術だ。 私は、 日本の将来の方向性として脱原発社会の実現を目指すとともに、 太陽光や風力、 地熱発電などの分散型再生可能エネルギーを有効活用し、 和歌山など地方の経済活性化の切り札にしたいと考えている。 もっとも、 原発を早期に廃止した場合、 私たちの生活に与える影響も少なくない。 原発、 脱原発の双方のメリット、 そしてリスクを明確に提示し、 選択肢を複数示した上で、 国民の意思を問う諮問型 「国民投票」 を実施し、 国民の声を直接反映させる機会を作りたいと考えている。 この形式なら議員立法で実現が可能だ。 従って、 9月に予定される民主党代表選挙(=総理大臣指名選挙)においては、 すべての候補者に、 未来のエネルギー政策、 そして原発の在り方を明確に提示し、 この諮問型国民投票実施を公約にするよう働きかけたい。 本当の豊かさとは? 日本が目指すべき方向性は? そんな問題意識を国民が共有し、意志表示をすることで、 「日本の民主主義を鍛える」 絶好の機会にもなるとも確信している。
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②脱原発を経済発展につなげるために
ドイツ政府は2022年までに原発を廃止する方針を2011年6月7日に決定した。 また、 イタリアでは同年6月13日に国民投票が行われ、 原発再開計画が否決された。 このふたつの政策決定の根拠は、 技術や経済の前に、 「安全に責任を負えない技術を未来の世代に押し付けるわけにはいかない」 という倫理観であったと思う。 一方で、 脱原発経済への変革、 つまり再生可能エネルギーを中心とした社会をつくる試みを、 便利さや快適さから安心や尊厳をより尊重する社会に変える決意、 一方で省エネ住宅や車の普及などを通して経済発展にも必ずつなげる決意と政策が伴ったからこそ、 国民の支持を得たと私は考えている。
ドイツでは2022年に現在ある17基の原発を廃止する予定だ。 54基の原発があり、 脱原発社会への移行が遅れている日本の場合、 経済への影響を最小化するのはより困難な挑戦だ。 国民投票を実施する場合、 直ちに原発を廃止するのか、 より長い時間をかけて脱原発に取り組むのか、 原発を継続するのか、 それぞれのケースが生み出す影響について様々な角度から予測し、 国民がより正しい判断が下せるような情報提供をすることは政府の責務だ。
③あらゆる場で国民が議論する社会に
比較的安価に電力の安定的な供給を続けてきた原発が日本の経済発展に寄与したことは事実だ。 また、 地球温暖化を防止するCO2削減に有効な手段であることも否定できない。 私はカンボジアやモザンビークの山岳少数民族の村で、 計2年間、 全く電気のない状況で生活し、 平和構築活動を行った経験がある。 電気のない生活が時に人間の命や安心を奪うこと、 電気が通った地域では、 人間の可能性が高まることを実感してきた。 与党の国会議員として、 経済の血液であり、 人道上の様々な恩恵をももたらす電気の存在はできる限り守るべきだと思う。 しかし、 全ての人々の要求を完璧に満たすエネルギー政策は不可能だ。 再生可能エネルギーの普及には現状では多くのコストと時間が必要で、 電力の安定供給という、 我々が当たり前のように享受してきた恩恵が奪われる可能性がある。 それでも良いのか? どこまでは許容できるのか? リスクを明確に提示し、 選択肢を複数示した上で、 国民の意思を問う。 国民投票はそんな機会であるべきだ。
国民の意志を示す場としては国政選挙がある。 しかし、 ひとつの争点で政権選択選挙を行うことの危うさは、 2005年の郵政選挙で学んだはずだ。 また、 衆議院選挙は 「人を選ぶ」 側面が強く、 政策に対する国民の意志が正確に反映されるとは限らない。
学校で、 職場で、 またカフェや居酒屋などあらゆる場所で、 原発の在り方について人々が真剣に議論する社会、 また、 本当に豊かな社会の在り方についてなど、 エネルギー政策の変化がもたらす社会の在り方について人々が熱心に意見を交わす様子を想像するのは悪い気分ではない。 「国民投票」 は日本の民主主義を成熟させる大きな一歩になることを確信している。