和歌山県内は39人受章 危険業務叙勲
警察官や消防吏員など危険性の高い業務に従事した功労者に贈られる第20回危険業務従事者叙勲の受章者が29日に発令される。 県関係の受章者は、 県が上申した5人と中央省庁などで選考された34人の計39人 (すべて男性)。 県関係の受章者総数は累計で457人となる。
5月中、 下旬に県庁や各省庁で伝達が行われる。 晴れの受章者は次の皆さん。
【瑞宝双光章】
青田實(73)元県警部、岩出市吉田▽井上隼司(72)同、橋本市隅田町▽岩本勳(71)元県警視、和歌山市紀三井寺▽宇治田幸雄(71)元大阪府警部、同市楠見中▽大西洋二(64)元橋本市消防司令長、同市隅田町▽小田實(72)元県警視、海南市大野中▽鍵野勝(71)元警視正、和歌山市和田▽川原洋明(72)元県警視、紀の川市貴志川町長山▽黑岩孝俊(72)元警視正、和歌山市小豆島▽齋藤優(65)元海上保安官、同市加太▽塩﨑正和(65)元新宮市消防司令長、同市橋本▽下村皓信(72)元県警部、和歌山市粟▽白井孝昭(71)同、同市楠右衛門小路▽武田浩三(72)元県警視、同市西高松▽竹村倫一(65)元御坊市消防司令長、同市塩屋町▽谷岡照三(72)元県警部、和歌山市神前▽長尾甚吉(72)同、同市田尻▽中川登(71)元県警部、同市北野▽鍋屋芳久(71)元警視正、同市神前▽林正司(72)元県警部、同市内原▽日野林次(72)同、田辺市上秋津▽藤木正武(72)元県警視、和歌山市神前▽森光央(75)元警視長、同市津秦▽山﨑英護(62)元田辺市消防司令長、同市下万呂▽山路安男(72)元県警部、和歌山市西小二里▽山本昇(72)元県警視、同市吹屋町
【瑞宝単光章】
青山勇(61)元3等空尉、串本町サンゴ台▽上地良成(65)元海上保安官、白浜町▽國見嘉久(72)元県警部、和歌山市相坂▽芝崎茂三(61)元准陸尉、日高町高家▽中武秀義(63)同、紀の川市桃山町調月▽中本英紀(72)元県警部、みなべ町東岩代▽西範顯(72)同、和歌山市森小手穂▽西端英作(65)元法務事務官、橋本市城山台▽根来弘亀(69)元和歌山市消防司令長、紀の川市貴志川町西山▽橋本堅一(72)元県警部補、串本町田原▽畑中舜郎(73)元県警部、岩出市森▽福田秋(72)同、美浜町和田▽南方浩次(73)元県警部補、紀の川市貴志川町岸宮
みんなの協力に感謝
昭和38年、 「人を助けられるような仕事をしたい」 という思いで22歳の時、 警察の道に進んだ。 警察学校を卒業し、 初めての勤務地が和歌山東署管轄の交番だった。 6人体制の交代勤務で曜日に関係なく勤務する体制に、 最初は慣れないこともあったという。
和歌山北署で警備課長だった平成元年、 関西空港の埋め立てで加太で土取り工事が始まると、 大学生を中心とした極左暴力集団が爆破予告をし、 予断を許さない日々が続いた。 近隣の住民や工事関係者らの安全を守るため、 24時間体制でパトロール。 同集団の実態を説明するなど何度も繰り返して注意を呼び掛けた。 「いつ爆破が起こるか分からない。 気が休まる日がなかった」 と振り返る。
38年間、 県内のさまざまな地を回り、 警備課や地域課で勤務。 人との信頼関係が協力につながった。退職して約13年になるが、今でもパトカーのサイレンが鳴ると気になるという。 受章に「みんなの支えでもらった章。ありがたい気持ちでいっぱい」と笑顔を見せた。
仕事に真っ正面から
昭和36年4月の拝命から41年間、 主に刑事と交通捜査畑を歩んできた。
強く記憶に残っている事件は、 同42年に御坊署管内パチンコ店で男が刃物で男性を刺した殺人事件。 男は静岡県沼津市から漁を行うため船で来県。 犯行後に逃走し、 情報が少なかったこともあり捜査が難航すると思われたが的確な聞き込みにより、 一日もたたず犯人の身元を特定。 スピード解決に貢献した。
交通課時代には、 白浜署で勤務していた同46年のある日、 通夜帰りの女性が男の車にはねられ死亡したひき逃げ事件を担当。 事件直後に誰も知るはずもない事故内容をある男性が署に聞きに来たことから不審に感じ、 署の外を調べると隠れていた犯人を発見し事件解決に結び付けた。 訪れたのは犯人の親族だった。
先輩からもらった言葉は 「仕事から逃げるな」。 常に真っ正面から仕事と向き合った。 後輩には 「壁にぶち当たったら一人で考えずに協力してみんなで解決して頑張ってほしいね」 とエールを送った。
心強い支えがあった
高校時代にバスケットボールで培った体力を生かし、 消防の道を歩み出した。 以降、 勤務先の和歌山市消防局で41年と10カ月間職務に精励。 紀の川市出身のため当初、 慣れない和歌山市内の地理に苦労した。
1分1秒を争う職業柄、 地理を覚えるために休みを返上し、 自転車で市内を回ったという。
和歌浦の旅館火災やタンク火災、 山火事など印象に残っている現場も多い。 24時間、 消火活動を続けたこともあった。 過酷な業務をこなせたのは救助者の笑顔が見られたからだ。
住宅火災では先輩と一緒に燃えさかる炎の中に飛び込んだこともある。 「先輩の心強い支えがあったから恐怖はなかった」 と笑顔を見せる。
退職後は紀の川市の選任を受け、 自主防災組織推進委員として活躍。 地域の安全のため、 訓練などの指導をしている。
「いい勉強をさせてもらった」 と当時を振り返り、 「身に余る光栄。 先輩方の指導と支えてくれた後輩方のおかげです」 と受章を喜んだ。