伊勢路旅(31)三重県松阪市②
前号では、三重県松阪市の松阪城の歴史について取り上げた。今週は松阪城の遺構が残る町並みを紹介したい。
松阪城の南東、かつての三の丸にある御城番屋敷(ごじょうばんやしき)は、松阪城警護のため文久3年(1863)に建築された紀州藩士とその家族が居住した組屋敷(くみやしき)。組屋敷とは江戸時代に大名の与力(よりき)組など、組に属する武士がまとまって居住していた長屋を指す。ここでは東棟・西棟の2棟で構成され路地を挟み向かい合わせに建築されている。
東棟は桁行(横幅)90・9㍍、西棟は桁行83・6㍍と極めて長い平屋建ての長屋。一戸当たり間口が5間(約9㍍)、奥行き5間が基本となっており、間取りは一戸につき6畳間が2間、8畳間が2間と土間、縁側(前・後)、3畳ほどの納屋(角屋)で構成されており、今も東棟に10戸、西棟に9戸が現存する。
御城番屋敷は現存する19戸のうち12戸が借家として貸し出されており、その内の一戸が平成2年から松阪市が借用し内部を創建された当時の姿に復元し一般公開を始めた。
同時に景観整備として電柱の移動や共聴設備の導入によるテレビアンテナの撤去、東棟・西棟の中央を走る路地を石畳にするなど観光資源化が進められ、平成16年に主屋となる2棟が国の重要文化財、土蔵が県指定文化財に指定されている。近年は、この歴史的遺構を後世に伝えようと、シロアリ被害や耐震・防火対策を考慮した修復工事が行われ平成22年に完了している。
築150年を超える建造物が現存する理由は、かつてこの長屋に居住していた紀州藩士らの結束力にある。その歴史を次号で紹介したい。
(次田尚弘/松阪市)