実業団水泳に40年連続出場 梁川、下津さん

 リオ五輪での日本競泳陣の活躍の余韻が残る中、和歌山にも、年齢を重ねるほどに磨きがかかり、競泳に情熱を注ぐスイマーがいる。和歌山市西庄の梁川惠一さん(61)、海南市日方の下津有一さん(71)。2人は共に住友金属工業(現新日鐵住金)水泳部のOB。そろって、社会人スイマーの最高峰・日本実業団水泳競技大会に40年間連続出場を果たし、日本水泳連盟から表彰を受けた。2人は「好きだから続けてこられた」と爽やかな笑顔を見せる。

 同大会は、年齢区分ごとに7種目で実施。2人はこれまで10回、20回、30回の連続出場で共に表彰を受けた。ことし40回連続出場で表彰されたのは全国で3人で、県内では初の快挙。同大会名での競技会は来年でひとまず最後になることが決まっており、連続出場表彰は40回が最高になるという。

 梁川さんは宮城県石巻市出身。中学では水泳部だったものの、夏が短い東北ではあまり活動できず、住金に入社した21歳から本格的に水泳を始めた。

 専門種目はバタフライ。徐々に頭角を現し、25歳から14回にわたって国体に出場。昭和60年、31歳の時には50㍍バタフライで3位入賞。22歳から出場する実業団大会では、50歳以上50㍍バタフライで平成18、19年に連続優勝を果たした。

 現在は週に5日、秋葉山公園県民水泳場やジストスポーツクラブ和歌山などで練習。1回で3000㍍から7000㍍泳ぎ込む。ことし2月には体調を崩し、心臓の不整脈の手術を受けた。大会まで練習期間も短い中、40回目の出場となる8月の大会では3年ぶりの決勝進出で8位入賞。喜びもひとしおだったという。

 梁川さんは「重要なのは勝ち負けではなく、自分の持ちタイムへの挑戦」と語る。強さの秘密は「40代から変わらない」練習量にある。加齢に伴い、練習量が減るのが一般的だが「梁川さんの練習の多さは群を抜いている。上位を目指す思いは並大抵ではない」と下津さん。

 梁川さんは「年齢を重ねても、練習の内容が悪くなるだけで、体力の衰えは感じない」ときっぱり。競泳の魅力は「工夫次第で速くなること」。トレーニングを見直したり、微妙に泳法を変えたりすることでタイムを伸ばしてきた。

 目下の目標は、現在の年齢区分(60―64歳)での50㍍バタフライ・マスターズ日本記録「29秒38」の更新。梁川さんのベストは30秒06で「調子も戻ってきているので、出せないタイムではない」と自信をのぞかせる。

 下津さんは、水泳学校の指導をしていた父の影響で幼い頃から川などで泳ぎに親しんだ。海南二中で水泳を始め、県立和歌山商業高校水泳部で汗を流し、インターハイにも出場。22歳で、後に住金と合併する海南鋼管㈱に就職した。

 出場種目は個人メドレーとバタフライ。実業団の大会では40歳で50㍍平泳ぎ8位、50歳で50㍍バタフライ8位入賞。思い出深いのは50歳の入賞で初めて賞状を手にした時のこと。「やっと1枚もらえた」と感動は大きく、練習に励む原動力になった。以前の全国勤労者水泳競技大会時代から出場し、通算すると49回連続という。

 日本マスターズ水泳選手権大会には26回出場し、優勝2回。世界マスターズにも4回出場し、仲間との交流や訪問地での観光を含めて競泳を楽しんでいる。

 練習はパルポート太田で週に3日、1500㍍を泳ぐ。60歳を過ぎた頃から、タイムは年に1秒~2秒ずつ遅くなってきたが「40年連続出場を一つの目標にしてきたので、達成できてうれしい。とにかく泳ぐのが好きなんです」。

 そんな下津さんの存在に、ちょうど10歳年齢の離れた梁川さんは「水泳に対してとても真面目に取り組まれる方。自分があと10年続けられるかと思うと、尊敬します」と話す。

 下津さんは「タイムも体力も年々下がってきていますが、継続した大会参加を目標に、これからも体が続く限り競泳人生を楽しみたい」とにっこり。冷めることのない情熱で、まっすぐにゴールを見つめて泳ぎ続ける。

秋葉山のプールで梁川さん㊨と下津さん

秋葉山のプールで梁川さん㊨と下津さん