迫間房太郎邸を調査 紀の川市出身の実業家
紀の川市出身の実業家で、戦前に植民地支配下の朝鮮で貿易商として活躍した迫間房太郎(1860~1942)の足跡をたどる取り組みが進んでいる。韓国・釜山郊外には房太郎の別邸があり、海外に残る日本式建築の中でも価値が高いことから、別邸を設計した人物を先祖に持つ武者小路千家家元教授の木津宗詮さん(54)=京都市=を中心とする調査団が現地を調査。成果を記録した書籍の出版を計画している。
迫間房太郎は池田村(現紀の川市)出身。19歳で大阪に移り、五百井長兵衛のでっちとなった。21歳で同社釜山支店の支配人となり、朝鮮半島へ。その後、独立し迫間商店を設立すると、貿易や土地家屋の賃借を通じて巨万の富を築き、釜山を代表する実業家となった。釜山商業銀行や朝鮮瓦斯電気の社長や重役を務めた他、地域の発展のために釜山公会堂の建設などの社会事業に多額の寄付を行っている。
木津さんの先祖に当たる木津家三代・聿斎宗泉(いっさいそうせん)は明治42年に釜山郊外に残る旧迫間邸と庭園を設計しており、木津さんは約10年前に論文を通じてその事実を知った。
所有者がホテルへの建て替えを目的にことし8月1日で建物を閉鎖し、大改修を行う意向を示したことから、7月に建築家や造園家、歴史家などで構成する調査団を組織し、詳細な現地調査を行った。調査に当たっては所有者から調査時間や対価など厳しい条件を示されたが、200人以上から支援を受け、建物の現状を確認することができた。
旧迫間邸は約3000坪の敷地面積を誇り、建物は純日本式木造2階建て。建築には数寄屋造りの技法が採用されている。終戦後は米国軍政の業務を行う政庁や高級キーセンハウス、レストランなどとして利用されてきた。朝鮮戦争期に釜山が臨時首都となった際は副大統領官邸としても使われた。現在の建物の内部や庭園は、建築当時の技法とは異なる手法で改修が加えられているという。
木津さんらは調査の成果を年内に書籍化しようと取り組みを進めている。活動が報道されたことを通じて、房太郎の孫に当たる東京都世田谷区の迫間光男さん(88)と同渋谷区の中尾慶子さん(90)が健在であることも判明した。
田辺市出身の木津さんは「海外に残る日本式建築は保存が難しいが、房太郎ほどの偉人を、ぜひ地元・和歌山の皆さんに知っていただきたい」と話し、今後の活動の充実へ意欲を見せている。