家康紀行⑨17年を過ごした「浜松城」

前号まで8回にわたり「家康紀行・岡崎編」と題し、愛知県岡崎市の徳川家康公ゆかりの地を取り上げた。出世城として知られる岡崎城。永禄11年(1568)今川領の制圧を始めた家康は、駿府に攻め込んだ武田信玄の侵略に備え、元亀元年(1570)岡崎城を長男の信康に譲り、次なる居城として浜松を選んだ。家康が29歳から45歳までの17年間を過ごした「浜松城」もまた、出世城として知られる。今週からは「家康紀行・浜松編」として、静岡県浜松市の家康公ゆかりの地と街の魅力を紹介していきたい。

浜松市は静岡県西部の遠州地方に位置する政令指定都市。人口約79万6千人で県庁所在地の静岡市よりも人口が多く、工業都市として発展してきた。

浜松城は家康により、かつて「曳馬城(ひくまじょう)」として今川家の家臣・飯尾氏が城主を務めていた城を南西方向に拡張し、南北約500㍍、東西約450㍍にわたる城郭を築いたもの。平野の丘陵に築かれた平山城で、三方ヶ原台地の斜面に沿い北西の位置に天守、東に本丸と二の丸、南東に三の丸を配置する「梯郭式(ていかくしき)」の構造は、岡山城のような背後に天然の要害がある城に特徴的。曳馬城の「曳馬」の字は「馬を引く」と書き、敗戦を連想させ縁起が悪いということから、この地の地名である「浜松」にちなみ、浜松城と名付けたという。

家康が在城した17年間には、姉川の合戦(1570)、三方ヶ原の合戦(1572)、高天神城の攻略(1575)、小牧・長久手の戦い(1584)など、数多くの激闘が繰り広げられた。市内にはこれらの戦いにまつわる史跡が多く存在し、家康が試練を乗り越えた軌跡にふれることができる。次号に続く。

浜松城

浜松城

(次田尚弘/浜松市)