紀州の偉人の研究成果 院友会が文化講座
県内在住の國學院大學(東京都渋谷区)卒業生で構成する院友会和歌山県支部主催の公開文化講座が9日、和歌山県和歌山市の県民文化会館で開かれ、華岡青洲や徳川吉宗について最新の研究成果を紹介する講演に約80人が聴き入った。
地元にゆかりのある歴史上の人物を研究している県内在住の同大卒業生が毎年講演しており、ことしで19回目。今回は卒業生で元和歌山市立博物館副館長の髙橋克伸氏が「華岡青洲の麻酔薬開発と医塾・春林軒」と題して研究成果を発表し、同大法学部の高塩博教授が「法律将軍徳川吉宗―中国法研究と『公事方御定書(くじかたおさだめがき)』―」と題して講演した。
髙橋氏は青洲に関係する史料について、青洲自身が1冊も医学書を刊行しておらず、見つかっている記録のほとんどは青洲の口述を門人が記録したものという現状を説明。江戸時代後期の医師・中川修亭が記した史料「麻薬考」に基づき、青洲が開発した全身麻酔薬「通仙散」は6種類の生薬で構成されており、特に蔓陀羅華の量が多かったと話した上で、「青洲の京都遊学は麻酔薬開発のルーツを知る上でとても大切」と話した。
現在の紀の川市にあった青洲の医塾「春林軒」については、春林軒に遊学した一関藩(岩手県)の藩士が国元に送った書簡を紹介。書簡の記述から、春林軒では各地から集まった医師の間で互いに情報交換が行われていたことが分かると話し、佐渡(新潟県)から痔の治療のため春林軒を訪れる患者がいたことも紹介した。
華岡流外科が後世の医療に与えた影響も指摘。「近世日本の外科治療を大きく進展させ、明治以降に西洋の外科医学を吸収する一助となった」と話した。
高塩教授は将軍となった吉宗の下で制定された「公事方御定書」について解説。吉宗は詩歌管弦よりも治世に直接役立つと学問を好み、特に法律への関心が強かったことから「法律将軍」という評判が立ったことを紹介した。
公事方御定書の中で窃盗の再犯者に対する罰として入れ墨が定められていることを挙げ、前科者を示す役割があり、中国の刺字を図案化し、どこの奉行所の入れ墨であるか判別できるようにしていたと解説した。