家康紀行(34)紀州藩主が献上「家康手植のミカン」

 家康紀行は前号から舞台を静岡市に変え、大御所・家康公の居城であった駿府城を取り上げている。
 家康の十男、紀州徳川家の祖である徳川頼宣が慶長14年(1609)から10年にわたり城主を務めるなど、紀州との関わりも深い。駿府城内でそれをさらに感じさせるものを見つけた。
 駿府城公園の中央に位置する「徳川家康公の像」のすぐ側に「家康公お手植のミカン」と札が掲げられた一画があり、覆われたフェンスの中に数本のミカンの木が茂っている。
 今から400年以上前、家康が将軍職を退き駿府城で隠居の折、当時の紀州藩主であった浅野氏から献上された鉢植えのミカンを、家康が自らの手で当時の本丸の庭に移植したものであるという。鎌倉時代に中国から伝わった紀州みかん(コミカン)の一種とされ、香りが強く種のある小粒の実ができる。
 以前、浜松編の「三ヶ日みかん」で紹介したが、紀州みかんは静岡におけるミカンの起源を知るうえで貴重なもの。これらは昭和25年「家康手植のミカン」として静岡県指定天然記念物に指定されている。
 現在も300㌔近い実をつけ、毎年12月初旬になると収穫作業が行われる。昨年は地元の中学生が郷土学習の一環として収穫に携わり、駿府城や家康の歴史を学ぶ機会になっているという。また、収穫されたミカンは市内の文化財資料館や日本平動物園などで希望者へ配布。例年、家康の顕彰にあやかろうと、ミカンを求める市民も多い。
 400年以上の歴史を経て、今なお駿府で大切に受け継がれる紀州みかん。紀州を起点に広がったミカンの歴史を知ることで、和歌山の魅力を見つめ直したい。
(次田尚弘/静岡市)