家康紀行(44)国宝「久能山東照宮」
前号では、駿河の守りの要として武田信玄により久能城が築かれ、後に徳川家康が自らの埋葬地に指定した久能山の歴史を取り上げた。今週は太平洋側にある登山口から頂上を目指し「久能山東照宮」を紹介したい。
昭和32年に日本平と久能山を結ぶロープウェイが開通するまでは、この登山口(山ノ下)からの17曲1159段に及ぶ参道が唯一の参詣道で、参勤交代で付近を往来する大名もこの石段を上り東照宮を参拝。1159段にちなみ「いちいちご苦労さん」というしゃれが参拝者らの間で広まったとされる。山頂に程近い「一ノ門」からは駿河湾を一望でき、元日には初日の出を拝めることから多くの参拝者でにぎわう。
家康の遺命により亡骸が久能山に移された後、二代将軍の徳川秀忠が家康を祭る神社の造営を指示。大工棟梁には、徳川家の建造物の建築や修理を担う作事方として家康に仕え二条城や江戸城や駿府城の天守の建築、江戸の町割りを行った「中井正清(1565―1619)」選ばれ、元和2年(1616)5月に着工、1年7カ月の歳月をかけ久能山東照宮は完成した。
権現造(ごんげんづくり)の社殿は、建築当時の最高峰の建築技術と装飾が施され、後に建造される日光東照宮をはじめ、全国にある東照宮は久能山東照宮が原型とされている。
中井正清の遺作としても評価され、平成22年12月に本殿、石の間、拝殿が国宝に指定。平成18年に行われた社殿の塗り替えにより、いっそう極彩色が映え細かな彫刻の技が際立つ様から、400年の歴史を持つ重み、当時の家康の影響力の強さを感じさせ、今なお見る者を圧倒し家康の偉功を後世に伝え続けている。
(次田尚弘/静岡市)