扇の芝の一部 史跡「和歌山城」に追加指定
国の文化審議会は15日、国の史跡「和歌山城」(和歌山市)に、同市雑賀屋町東ノ丁の扇の芝の一部を追加指定するよう文部科学大臣に答申した。追加指定により、国史跡の指定区域は約20万7500平方㍍になる。 【写真は和歌山市提供】
扇の芝は和歌山城の南西部にあった場所で、約3000平方㍍のうち、一部49・57平方㍍が指定される見込み。扇の芝は江戸時代には芝地で、『紀伊名所図会』にも当時の姿が描かれている。城の北西から扇の芝がある城の南西まで掘がなかったため、城外の見通しを確保して敵の動きを察知するための空閑地として考えられている。
また、1846年の落雷で消失した和歌山城の天守を再建する際には、作業場である「御普請所(ごふしんじょ)」として利用され、鉛の鋳造などが行われていたことから補修管理拠点の役割もあったと考えられている。城郭外で、人の往来も自由だったが、和歌山城との関わりが強い場所だったため、紀州徳川家が維持管理してきた。
和歌山城は1585年に羽柴(後の豊臣)秀吉が弟の秀長に命じて築城したのが始まり。紀州藩初代藩主の浅野幸長が連立式天守を建築。1619年に徳川頼宣が城主となって砂の丸、南の丸を整備して現在の城郭となった。史跡には1931年に指定された。
今回は和歌山城への追加指定であるため、県内の国指定史跡の件数は26件から変更はない。