名将勇退に教え子集う 髙嶋さんパーティー

ことし8月に智弁和歌山高校野球部監督を勇退し、名誉監督となった髙嶋仁さん(72)の勇退記念パーティーが1日、和歌山県和歌山市友田町のホテルグランヴィア和歌山で開かれ、髙嶋さんの指導を受けた同校と智弁学園(奈良)の野球部OBら約200人が恩師のために駆け付けた。

監督として甲子園歴代最多の68勝を挙げた髙嶋さんは長崎県出身。日本体育大学を卒業後、智弁学園野球部監督に就任し、1980年からは智弁和歌山を率い、春夏合わせて優勝3回、準優勝4回の実績を残した。

20~60代のOBらが見詰める中、髙嶋さんは48年間の監督生活について「子どもたちを甲子園に連れていきたいという思いで、目から火が出るような気持ちでやってきた」と振り返り、選手には試合に出る出ないに関係なくチーム一丸となって戦うことを求めてきたと強調。「練習は手伝ってくれる補欠がいないとできない。下積みの子を大切にしてきたから今があると思う」と話した。

奈良時代に「(ライバルの)天理が4時間するならうちは8時間練習しよう」と選手に呼び掛け、猛練習を課すうちに選手が練習をボイコットしたエピソードも披露。「私の指導が一方通行だったことが分かった。初めて甲子園に出るまでに3回辞表を書いた」と話し、会場の笑いを誘った。

パーティーには卒業後にプロ入りしたOBも出席。奈良時代の教え子で近鉄などでプレーした山口哲治さん(59)は「すごく怖い監督だったが、甲子園出場が決まった時に監督のうれし涙を見て人間らしいところもあるんだなと思った。練習はやればやるほど自分の身になって返ってくることを学んだ」と話した。

塩崎英樹OB会名誉会長は「髙嶋先生のベンチでの仁王立ちや素晴らしいノックが見られないと思った時、涙が止まらなかった。OBにとって一番の恩師と思っている。高嶋先生の甲子園最多勝記録がずっと1位であってほしい」とあいさつ。10月のドラフト会議でロッテから2位指名を受けたOBの東妻勇輔投手(22)は「髙嶋先生からは気持ちが強い方が勝つと言われた。自分の強気の投球スタイルは髙嶋先生の教えが反映されていると思う」と話していた。

48年間の監督生活を振り返る髙嶋さん

48年間の監督生活を振り返る髙嶋さん